特別対談企画 創造的解決と、その先に広がる可能性

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profile

中川雅人(なかがわ まさと)(写真右)
略歴

東京大学工学部4年(2021年4月現在)
学生VRサークル「UT-virtual」所属
コロナ禍での「バーチャル東大」の構築および高校生のためのオープンキャンパスでの公開により、令和2年度東京大学総長大賞受賞


西澤優人(にしざわ ゆうと)(写真左)
略歴

東京大学工学部4年(2021年4月現在)
学生VRサークル「UT-virtual」所属
コロナ禍での「バーチャル東大」の構築および高校生のためのオープンキャンパスでの公開により、令和2年度東京大学総長大賞受賞


略歴
1999年 東京大学大学院工学系研究科博士後期課程修了、博士(工学)
東京大学先端科学技術研究センター教授(現職)
JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト研究総括。SFアニメ『攻殻機動隊』に登場する技術「光学迷彩」を実現したことでも世界的に有名。
研究室ホームページ:https://star.rcast.u-tokyo.ac.jp/

略歴
2004年 東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程修了、博士(情報理工学)
東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻准教授(現職)
主な研究分野はコンピュータアーキテクチャ、ヒューマンコンピュータインタラクション、セキュリティ、ディペンダビリティなど。
研究室ホームページ:https://www.mtl.t.u-tokyo.ac.jp/

2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大によりあらゆるイベント開催が困難となった。卒業式も例外ではなく、令和元年度東京大学学位記授与式・卒業式はオンラインでの映像配信に変更。前代未聞の状況の中、学生有志がバーチャル空間でのイベント開催に活路を見出す。それが、のちの「バーチャル東大」プロジェクトの幕開けであった。稲見昌彦教授率いるVRサークル「UT-virtual」のメンバー3人が制作したバーチャルキャンパスは、コロナ禍における新たなイベントの可能性を提示。「バーチャル東大」を会場としたオープンキャンパスにはのべ1万4000人が参加し大成功をおさめた。今回は稲見教授、入江英嗣准教授、さらに「バーチャル東大」制作メンバーとして令和2年度東京大学総長賞を受賞した中川雅人氏、西澤優人氏を迎え、バーチャルキャンパス構築の裏側に迫る。
(監修:江崎浩、取材・構成:近代科学社編集チーム)


参加者1.4万人。学生有志のアイデアがオフィシャルプロジェクトに

Q. まず、「バーチャル東大」の背景についてお聞かせください
稲見――2020年3月、コロナ禍によって東京大学学位記授与式・卒業式がオンライン化されました。卒業生が安田講堂に集まり、アカデミックガウンを着て写真撮影をする恒例のイベントができなくなってしまったんです。そんな折、学生の有志が自主的にバーチャル安田講堂前広場を作り、さらにそこで卒業記念LT大会というイベントを開催しました。私は学内のVR研究機関であるバーチャルリアリティ教育研究センターで、応用展開部門長という職責を担っております。コロナ禍で自粛ムードの中、学生が自主的にVRを活用して新たな楽しみ方を見出したことに非常に感銘を受けました。そこで、彼らのチャレンジを応援するべく総長とバーチャルリアリティ教育研究センター長からオフィシャルメッセージをいただいたわけです。これが好評を博しまして、先端科学技術研究センターが毎年開催しているオープンキャンパスもVRで実施することになりました。それが成功すると今度は本部社会連携推進課の目に留まり、VRの本郷キャンパスで高校生のためのオープンキャンパスを開催することになったんです。そこで当時中川くんが代表を務めていたVRサークル「UT-virtual」のメンバーから有志を募り、「バーチャル東大」というプロジェクトが始動しました。

Q. 開催当日の反響は?
稲見――全国各地の高校生が集まってくださって、現役の学生も思いのほか喜んで遊んでいたのが印象的でした。最終的にのべ1万4000人近くもの方が訪問してくださり、メディアにも大きく取り上げられました。

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図1 VRで実施したオープンキャンパスの様子

Q. なるほど。お2人はどういった経緯でプロジェクトに参加されたんですか?
西澤――所壮琉(当時東京大学教養学部2年、現在工学部建築学科3年)から「バーチャル東大」を作るメンバーを探していると聞き、興味を持ったのがきっかけです。僕自身、オープンキャンパスは受験勉強の合間の貴重な楽しみでした。多くのイベントが中止になってしまっている中、バーチャルで参加できるオープンキャンパスは高校生にも楽しんでもらえるだろうし、作り手としてもやりがいがありそうだと思い参加しました。

中川――同じく、所が誘ってくれたことがきっかけです。僕は北海道出身で、都内でのオープンキャンパスとなると当然飛行機に乗ることになりますし、帰れなくなっては困るのでホテルも確保しなければいけませんでした。バーチャル空間でオープンキャンパスが開催されるとなれば、北海道に限らずさまざまな地域から気軽に参加できます。ぜひ協力したいと思い、参加することを決めました。

Q. 所さんと3人で制作されたそうですが、どうやって進めていったのでしょうか
西澤――僕たちが参加したタイミングでは、赤門、正門、図書館前、安田講堂前、あとは安田講堂内部の設計をすることになっていました。人数も少ないので僕は正門、赤門担当という感じでまずはエリアを分担して、あとはそれぞれ得意な分野を中心に進めていきました。

入江――安田講堂の編目模様まで細かく再現されていましたよね?どうやって作ったのか気になっていたんです。この手のものにはフォトグラメトリで済ませているものが良くありますが、「バーチャル東大」ではそれぞれがちゃんとしたオブジェクトになっています。とんでもない手間をかけたのか、それとも賢い工夫があるのか、一体どちらなんだろうと思っていました。

西澤――写真を使うというよりは、ものを作っていく感覚に近かったです。建物のテクスチャなど、実際の写真を多少加工したのを貼り付けているところもあります。安田講堂の天井は複製などもしつつ、基本的には頂点を動かしながら描いていきました。「バーチャル東大」で特に意識したのは、現実をそのまま写すのではなくバーチャルならではのものを作ることです。「実際にキャンパスを散策しているのと同じような体験を」ということでしたので、各エリアをつなげて歩き回れるようにしたのと同時に、好きな場所にすぐ移動できるワープの要素も取り入れました。リアルではできないことも入れつつ実際の雰囲気を感じてもらえるように、3人で「こんなのがあったら楽しそうだね」と話し合いながら実装していきました。

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図2 製作途中の安田講堂

Q. 安田講堂だけでどれぐらいの時間がかかったんですか?
西澤――実際に手を動かし始めてから完成までは1か月半ぐらいです。その間は、1日6時間くらい集中して作業をしていました。

中川――しっかり睡眠も取りながらやっていたので、ホワイトな環境でした(笑)。先ほど西澤が言ったようにそれぞれ得意分野が違うので、行き詰まったときは誰かがアドバイスしてくれるのは心強かったです。さすがに完全にリモートワークというわけにはいかなくて、実際に計測したり取材を行ったりしながら進めていきました。

稲見――本部肝いりのプロジェクトだったので、普段は入れないような場所にも入って自由にやらせていただきました。そのおかげで安田講堂の床は反射まできれいに作り込まれ、赤門などは本物よりきれいに仕上がっています。1階と2階で移動もできるので、2階から飛び降りるなどバーチャルならではの遊び方をする学生もいるようです。自分たちの手で自分たちのキャンパスを作るというのはなかなかないことですし、それを大学が応援してくれて、大勢に喜んでもらえるというのは素晴らしいことだと思います。

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図3 バーチャル東大の赤門エリア

世界の解像度を高めることが教育の本質である

Q. 「バーチャル東大」を通して得た気付きはありましたか?
西澤――それまでほとんど建物を見ていなかったことに気付かされました。僕は正門と赤門担当だったのでよく見に行ったんですが、「屋根の瓦はこうなっていたのか」とか、「こんなマークが入っていたのか」とか、「意外とボロボロだな」とか(笑)。そういう部分も含めて東大の歴史を実感したのは貴重な経験だったと思います。Twitterの反応を見ると「本物の赤門みたいだ」と言ってくださる方もいますが、作った側からすると全然本物ではないんです。どうしても再現できていない部分もあるので、実際に見比べていただくのも一つの楽しみ方かもしれません。

中川――コンピュータ上で何かを作るとなると、どうしても処理能力の限界などがあるので「建物のここを作り込みたい」と思っても難しい場合があります。ですから、ただ再現をするだけではどうしても現実の劣化版になってしまうんです。人間の認識にも限界があるので劣化版でも問題ないといえばそうなんですが、どうすればデジタルならではの付加価値を生み出せるのかは、かなり考えました。

稲見――彼らが経験したのは、美大、芸大におけるデッサンの工学部バージョンだと思います。どこを簡略化するか考えるにはどこが本質なのかを見きわめる必要がありますし、目に見えているものをすべて見ていたわけではなかったことにも気が付くんです。実際に作ったり測ったりすると見えるものの解像度が変わるので、彼らは東大の解像度が相当上がったでしょうね。他の建物を見る目もだいぶ変わったのではないかと思います。

西澤――おっしゃる通りです。最近は「この段差にも意味があるんじゃないか」とか、そういうことを考えるようになりました。コンピュータがない時代から建物は存在しているというのは、改めてすごいことだと思うんです。実際に建築物のように大きなものを作るのは、情報やデータの中であれこれやっていくのとはまた別の魅力があるんでしょうね。

稲見――本来教育というのはそういうもので、世の中の解像度を高めることが教育の可能性だと考えています。「バーチャル東大」は課外活動ではありますが、実はもっとも本質的な最先端の教育だったのかもしれません。彼らは「バーチャル東大」の制作を通して、サイバーアーキテクトとして必要なことを実践的に学ぶことができたわけです。それが結果的にステークホルダー、つまり来場者にとっても、学生にとっても、大学院にとっても、大学関係者にとっても良い形になったのはプロジェクトとして大成功といえます。バラバラだった仕組みとかキーワードがうまくつながって、まさに新結合が起きた。そういう意味では、「バーチャル東大」はイノベーションだったのかもしれません。

Q.ある種、社会の転換点に繋がっていくかもしれない?
稲見――そうなってくれるといいですね。コロナ禍による社会のオンライン化の動きと同期して作用しましたし、学生の能力を引き出せる大学の環境も追い風になりましたから、意義のある発信ができたと思います。これは余談ですが、僕は日本社会もチャレンジを応援する文化に寄っていくべきだと考えています。今はどちらかというと批判する文化の方が目立っていますが、チャレンジをリスクにしないことがより良い未来につながるのではないかと思います。

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※コロナ対策により、インタビュー中はマスク着用としております

次のミッションは、バーチャルならではの価値の追求

Q. 現在はどういった作業をされているんですか?
稲見――現在はオンキャンパスジョブという形で、工学部の建物が集まっているエリアのバーチャル化を進めてもらっているところです。
※バーチャル東大ウェブサイトはこちら:https://vr.u-tokyo.ac.jp/virtualUT/

中川――「バーチャル東大」のプロジェクトで作ったのが安田講堂の前広場、安田講堂の内部、赤門前、正門前、図書館前の広場で、2021年3月に新しく工学部前の広場ができました。今は所が工学部6号館や屋上のテラスを作っていて、まだ一部ではありますが学生がよく通るようなエリアはできています。僕もバーチャル上で歩いてみたんですが、慣れ親しんでいる建物なので特に感慨深かったです。

西澤――加えて、アプリ版からWebブラウザ対応に作り変えています。わざわざアプリを入れなくてもChromeやSafariなどのWebブラウザで手軽に見られた方が楽しめる人も増えるのではないかということで、鋭意進めているところです。

Q. 「バーチャル東大」に関連した新たな取り組みはありますか?
稲見――各所から注目を集めたことで、バーチャルキャンパスを利用して電気系や機械系の学会の講座ができないかという話が出てきています。現在制作を進めている工学部エリアも、今後は教室まで含めて作ってほしいという要望があるんですよね。

中川――そうですね。「バーチャル東大」は「とりあえず東大の雰囲気を味わえるように」という目的で作られたのでビジュアル重視でしたが、将来的にはバーチャルキャンパス内を歩き回れるだけではなく講義ができるなど、大学の機能の部分にも手を出せればと考えています。工学部6号館もそういうことを視野に入れて、なるべく軽量化できるように意識しているようです。

稲見――また、今年は五月祭がオンライン開催になったんです。「バーチャル東大」は五月祭の予定日に合わせて公開されることになりました。
※五月祭は9月に開催延期となった。それに伴って、コラボレーションプロジェクトは「工学部研究成果発表会2021」(https://sites.google.com/g.ecc.u-tokyo.ac.jp/foeonline2021/

)で先行公開された。


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図4 バーチャル工学部広場

中川――五月祭では、工学部がバーチャルキャンパス上でコラボレーションをするプロジェクトが走り出しています。今回は工学部との連携のみですが、他の学部や部署とも連携していければより大学という組織の本質をバーチャルで補完できるのではないかと考えています。

西澤――コロナ禍以降の活用にも目を向けていきたいです。今はなかなか実際のキャンパスに入れないからこそ、バーチャルキャンパスに価値が生まれているという側面もあります。いずれコロナが収束したら、五月祭開催中にバーチャルキャンパスでもイベントを同時開催し、バーチャルをリアルに反映させるというような使い方もできれば面白そうだなと考えています。

稲見――西澤くんが言ってくれたのがまさに本質的なところで、シミュレーテッド・リアリティではデジタル化止まりなんです。デジタルならではの、バーチャルの中での本質的な価値をどういうふうに出していくかというのが今後考えるべきことだと思います。それこそオンラインファーストにするというのも一つの方法で、リアルよりもバーチャルの方がいいところもきっとあるはずです。一番いいのは、バーチャルキャンパスを1つのプラットフォームとして構築することでしょう。Nianticが「Ingress」に作ったプラットフォームを「ポケモンGO」や「魔法同盟」などさまざまな形で活用しているように、バーチャルキャンパスを各方面のステークホルダーが活用できるようになれば可能性はより広がると思います。

入江――バーチャルであれば授業をする場所も教室にこだわることはなくて、たとえばアトラクションで通り抜けていくようなワールドとかを作ったら面白そうですよね。バーチャルリアリティという分野が試行錯誤の時期を迎えている今、こういったものを作れる彼らが活躍できる場はたくさんあると思います。

稲見――工学部だと設計演習や実験があったりしますが、これは自ら手を動かすことによって理解する学習機会を提供するものです。今回の取り組みはバーチャルリアリティの中で手を動かすことで理解する経験だったかもしれません。所くんなんて、建築学科に入る前に建築的なことをやってしまっているわけです。実際に計測などをすると、従来の空間設計というものが見えてきます。人のための空間にはなぜ部屋が必要なのか、部屋のサイズや天井の高さはどうやって決まるのか。彼らは「バーチャル東大」の制作を通して、そういった知恵を蓄積したはずです。その蓄積を活かし、今度はバーチャルならではの人のための空間はどうあるべきか、そこを考えてみてほしいと思います。

チャレンジする姿勢が新たな道を切り開く

Q. お2人の卒業後のビジョンについてお聞かせください
西澤――僕は研究の道ではなく企業に入ろうと考えています。大学でいろいろなことを学んでも世の中にはまだ知らないことばかりですし、最先端で研究されているのに世間に浸透していないようなこともたくさんあるはずです。僕は「バーチャル東大」に対する高校生の反応を見て、自分が「すごい」と思ったものを伝える楽しさを感じました。将来はまだ知られていない研究と世間をつなぎ、世の中に広げていくためのお手伝いができるようなものを作れたらいいなと思っています。

稲見――高校生にとっても、「バーチャル東大」を作ったのがどこかの専門家ではなく将来の先輩たちだったというのはすごく大きかったでしょうね。彼ら、彼女らも、自分も手を伸ばせばそういうこともできるかもしれないと感じられたと思います。

中川――僕も新しいものを発見して、それを広めていくことに興味があります。「バーチャル東大」は完全にデジタルのプロジェクトですが、デジタルとフィジカルの世界の物理を掛け合わせることでより力が発揮できると思うんです。たとえばディスプレイに映っている物を見るよりも、実際に物が動いている方がパワーを感じますよね。ソフトウェアとハードウェアのどちらにもパワーがあるので、情報と物理の両方を掛け合わせてものづくりや研究をしていきたいです。

入江――お2人からこれからの学生さんに向けて伝えたいことはありますか?

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※コロナ対策により、インタビュー中はマスク着用としております

中川――ありきたりかもしれませんが、転がってきたチャンスはなるべく掴むというか、とにかく積極的にチャレンジしていってほしいです。

西澤――こんなに大層な賞をいただくとすごい人に見えるかもしれませんが、僕らもごく普通の学生です。「楽しそうだから」「面白そうだから」という好奇心で挑戦してみたら、こういう形になりました。これから大学生になる方々も、興味を持ったことや面白そうだと思ったことにはどんどんチャレンジしてほしいです。

入江――チャレンジをするときは1人ではなく、誰かと力を合わせることも大切ですよね。

西澤――そうですね。技術的にもモチベーション的にもそうですし、いろいろな人とつながることで自分にはない考えに触れることができます。もちろんこの3人もそうですし、教授や本部の方からフレキシブルに自分にはない発想を取り入れられたのも大事なことだったと思います。

中川――僕たち3人がつながった「UT-virtual」には、物事に積極的にチャレンジする風土があります。そのおかげで、「バーチャル東大」の話を聞いた時に飛び込んでいけたというのもあると思います。チャレンジする意志のある仲間同士で良い影響を与え合う、そういうつながりの中に身を置くのはとてもいいことだと思います。

入江――東大はまさにそういう場所だということですよね。僕は、卒業記念LT大会のバーチャル安田講堂前広場に感動したんです。コロナ禍が始まったばかりの3月にあんなことが実現できるとは思わなくて、本当に驚いて駆けつけたのを覚えています。それがあっという間にオフィシャルプロジェクトになったのは彼らの実行力があってこそでしょうし、丁寧に作られていることが誰の目にも明らかだったからと思います。今日こうしてお話を聞いて、改めてバーチャル世代の頼もしさを感じました。

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図5 バーチャル東大製作中の様子

「バーチャル東大」は文化になり得る創造である

Q. 稲見先生は、「バーチャル東大」の意義についてどうお考えですか?
稲見――最初のキーワードは「創造的解決」です。コロナ禍でオープンキャンパスの開催を諦めるのではなく、技術を積極的に使って創造的解決をしたことによって、遠方にお住まいの高校生も気軽にオープンキャンパスに参加でき、キャンパスに入れない学生たちもバーチャルキャンパスという新たな可能性に触れることができました。次が、「学生主導」。「バーチャル東大」の制作には、私は一切口を出していません。学生たちが自ら計測や取材をして作り上げた結果、十分なクオリティのものができています。そして、「バーチャル東大」を通して東京大学は自由にチャレンジできる場所なのだと改めて実感できました。こういうことは大抵どこかでブレーキがかかってしまうものですが、これだけ巨大な組織でスムーズに新しいことができたのには私も驚かされました。しかも多くの人が喜んでくれて、総長大賞にまで選ばれるというのは夢がありますよね。

Q. 組織の柔軟さは、そこに属する人たちにとって非常にありがたいものですよね
稲見――そうですね。新しいことができて、しかもスピーディーに変化できるというのは素晴らしいことです。僕は「バーチャル東大」について、東京大学が新キャンパスを作ったに等しいインパクトだと考えています。バーチャル空間に新キャンパスができるというのは令和ならではの話ですよね。何十年後かには「2020年、東大VRキャンパス開設」と東京大学の歴史に残っていて、「東大VRキャンパスは学部生が作ったんです」と未来の総長が式典で言う日が来るかもしれません。

Q. まさに歴史が変わる瞬間に立ち会っていることになりますね。「東大VRキャンパス」というのは?
稲見――想像の話ではありますが、いわば「バーチャル東大」の先にあるプラットフォームです。「バーチャル東大」の話をすると全然関係ない分野の先生も「使ってみたい」とおっしゃるんですが、僕はそこがすごく重要だと思っています。情報技術は、情報が好きな人だけに使われているうちは文化とは言えません。そうではない人たちのところまで広がっていって、ようやく文化になるんです。

Q. 確かに、インターネットの普及にもそうした現象が見られます
稲見――Macとかね。バーチャルリアリティに興味がなくて情報専門でも何でもない人たちも使うようになって初めて「バーチャル東大」が文化となり、プラットフォームとしての「東大VRキャンパス」が生まれるんだと思います。「東大VRキャンパス」はもちろん本郷キャンパスにも紐づいていますが、ヨーロッパの旧市街があって今があるように、本郷キャンパスを旧市街として広がっていくようなイメージです。将来的には東大の卒業生や関係者にとって、「東大VRキャンパス」が帰属意識を感じるものの一つになる時代が来たら面白いですね。

Q. バーチャルキャンパスを楽しめば楽しむほど、愛着も湧きそうな気がします
稲見――そうですね。入江先生との対談で「コンピュータはアイデアを奏でるための楽器」というアラン・ケイの言葉を引用しましたが、楽器というのは漢字にすると楽しむための道具と書きます。僕はこれを、音楽を奏でる道具だけを指す言葉にしてはもったいないと思うんです(笑)。そういう意味では、「バーチャル東大」もいつかはみんなが楽しむための「楽器」になり得るかもしれません。学びを楽しむのかもしれないし、創造を楽しむのかもしれないし、出会いを楽しむのかもしれない。学生が楽しみながら作り出したものが多くの人を楽しませるものになる、それは実に理想的な未来だと思います。


(取材日:2021年4月9日)

キーワード

1 卒業記念LT大会:正式名称は「東大生のための卒業記念LT大会2020」。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い令和元年度卒業式・学位記授与式がオンライン開催となったことを受け、学生有志が開催したオンラインイベント。詳しくはこちら: https://sites.google.com/view/ut-vrlt2020

2 バーチャルリアリティ教育研究センター:バーチャルリアリティを活用した教育システム導入の推進をめざし研究を行う、東京大学の研究所。詳しくはこちら:https://vr.u-tokyo.ac.jp/

3 先端科学技術研究センター:文理の垣根を越え、多様な分野の先端科学技術を研究する東京大学の研究所。通称「先端研」。詳しくはこちら: https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/index.html

4 UT-virtual:東京大学で唯一の学生VRサークル(2021年8月現在)。所属大学を問わず学生であれば誰でも参加でき、VR普及啓蒙、VR体験創造を軸に活動を行っている。詳しくはこちら:https://utvirtual.tech/

5 イノベーション:これまでにない価値を創造し、技術革新をもたらすサービスや製品のこと。本来は「改革」などの意。

6 五月祭:東京大学本郷キャンパスで開催される大学祭。例年5月に五月祭が、11月に駒場Iキャンパスで駒場祭が開催される。第94回五月祭は2021年9月19~20日にオンラインで開催された。

7 シミュレーテッド・リアリティ:真の現実とは区別することができないシミュレーション。一般的にはコンピュータを用いたシミュレーションを指す。容易に真の現実と区別できるバーチャルリアリティの上位互換的な概念とされることもあるが、絵画のように現実世界の本質的な部分をわかりやすく抽出したり、現実世界とまったく紐づかない空想的な世界を実現できる点もバーチャルリアリティの魅力といえる。。

8 Niantic:アメリカの企業。当初はGoogleの社内スタートアップとして設立された。位置情報を利用した拡張現実ゲーム「Ingress」をヒットさせ、独自の技術は「ポケモンGO」などの開発に応用されている。

9 ステークホルダー:直接的・間接的に関わらず、あらゆる組織のすべての利害関係者のこと。

10 Mac:Macintoshの略。Appleが開発・販売するパーソナルコンピュータ。1998年発売のiMacは一世を風靡し、Appleの業績回復のきっかけとなった。

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