コンピュータの限界に挑み、人との関係を次のステージへ導く

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profile

入江 英嗣 (いりえ ひでつぐ)

東京大学 大学院情報理工学系研究科 電子情報学専攻 准教授


略歴
2004年 東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程修了、博士(情報理工学)
東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻准教授(現職)
主な研究分野はコンピュータアーキテクチャ、ヒューマンコンピュータインタラクション、セキュリティ、ディペンダビリティなど
ホームページ:
https://www.mtl.t.u-tokyo.ac.jp/~irie/


コンピュータアーキテクチャ(computer architecture)研究のエキスパートである入江英嗣准教授は、回路設計からアプリケーション開発までと、まさに万能選手のように精力的に活動している。プロセッサーの性能を飛躍的に向上させる新しいコンピュータアーキテクチャの開発から近似計算技術、形状自在計算機システム、情報セキュリティと手掛けた研究は多岐に渡る。その活動の根底には、我々ユーザとコンピュータのより良い未来を作るという一つの動機があった。インタビューを通し、教授の研究にかける熱意と想いに迫る。
(監修:江崎浩、取材・構成:近代科学社編集チーム)


コンピュータアーキテクチャの斬新な構想

Q.先生の研究について簡単にお伺いできますか?
入江——分野としては、コンピュータアーキテクチャになります。簡単に言うと、自動で計算する機械、あるいは、自動で思考する機械をどうやって作り、どうすればより性能が上がっていくのかを考える研究です。もう一つの分野は、ヒューマンコンピュータインタラクション。人とコンピュータの関わりに関する研究です。特に私自身が注目しているのは、コンピュータがどんどん小さくなっていったときどういうアプリケーションが出てくるのか、それを実行できるコンピュータの形とはどういうものなのか。この二つを統合的に扱っていきたいという意思で研究しています。

Q.特に力を入れている研究はなんでしょう?
入江——私が命名したSTRAIGHTアーキテクチャという研究ですね(図1)。コンピュータに与える命令方式の部分に新規性があります。

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図1 STRAIGHTアーキテクチャ

Q.一般的なコンピュータのアーキテクチャと、どういう点が違うのでしょうか?
入江——コンピュータの中には一次的な値を保存しているレジスタというものがあります。コンピュータの内部では何番のレジスタの値と何番のレジスタの値を足して何番に書き出す、という処理を行います。STRAIGHTアーキテクチャは、いくつ前の命令の結果といくつ前の命令の結果を足します、という命令形式になっています。

Q.命令の違いが利点になる?
入江——高性能のコンピュータは与えられた命令を順番に実行しているのではなく、どの命令から実行すれば速いか、ということを判断して実行します。そのとき番地で管理されてしまうと結構大変でして。本当は足し算したいだけなのに、番地の管理にリソースをかけてしまっている。その点、STRAIGHTアーキテクチャの管理は負担が少ない。

Q.管理の負担が少なくなることで、動作も速くなるのでしょうか?
入江——はい、さらに効率が上がれば規模を大きくしやすい。例えば一般的なマイクロプロセッサーだとプログラマから見えるレジスタの個数は、汎用プロセッサですと1コアあたり8個くらいから多くても数十個というオーダですが、管理が軽くなったことによって100から1000という今までに無かった規模のコンピュータが作れるかもしれない。そうすると速い処理のコードをもっと書けるようになるでしょう。

Q.コンピュータのチップを単純に100個並べただけでは処理が速くはならない、ということですね?
入江——その通りです。2000年代のコンピュータの性能の上げ方、チップの性能の上げ方の一つとしてコアの数を増やしていく方向性があります。1個、2個、3個、4個のようなレベルはまだいいのですが、これが16個や32個に増えていくとだんだん性能が飽和していってしまう。今はその飽和点が見えてきています。そうすると今度は、コア一個あたりの性能を伸ばす方向に向きますよね。これが、シングルスレッド、つまり一つのプログラムの実行を速くすることによるアプローチです。プロセッサ全体の性能向上のためには並列実行能力とシングルスレッド実行能力を、用途に合わせてバランスよく高めていくことが有効です。

Q.電力消費にも影響がありそうですね。
入江——現在のコンピュータは電力をかければけるほど動作も速くなりますが、世の中の動向としては、電力は絞ったほうが良いけど性能も欲しい、という難しい状況に入っています。このギャップに応える技術に近似計算というフィールドがあります。コンピュータが自ら判断して近似計算を行い、自動的に最適化できるようなシステムを作れないかと考えています。

新しいコンピュータの発想

Q.先生はほかにも回路設計やデバイス開発も行われていますね?
入江——新しいデバイスを動かすためのコードや、その回路を作るところまで含めて実際の設計をしています。プロセッサー、RISC-Vという産業的に注目されているアーキテクチャがありますけども、それの高性能設計をしているという感じでしょうか。ほかにも形状自在コンピュータ(図2)と命名したマシンなども作っていますよ。

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図2 形状自在コンピュータ

Q.柔らかいコンピュータということでしょうか?
入江——半導体のチップそのものは小さく作れますが、チップの通信や電力をサポートする基板の大きさ、堅さが、コンピュータの柔軟性を制限しています。もしチップ同士がお互いに無線通信しあい、さらに無線給電により機能すればコンピュータシステムの柔軟性を飛躍的に高め、今までになかった場所に計算力を付与できる、という発想です。無線通信だから自在に動く部分もあって、例えば柔らかい繊維にピタッと張り付く。そんなコンピュータができれば色々使い道も広がるだろうと考えています。

Q.チップをただ並べるだけでなく、可変的な特徴をもたせるということでしょうか?
入江——イメージ的にはそうですね。あとはユーザ側で必要なだけ形を組み替えたり、チップが持ってる機能、全体のプロセッサーのスケールを変更できるようにしたい。最終的にはユーザ側が自ら手を加えられる柔軟なコンピュータというものを目指して、今は基礎的な研究を進めています。

Q.ユーザ側が決められるというのは面白い仕組みですね?
入江——ありがとうございます。夢を語ってしまうと、小さなチップを物凄く細かく分割していくと、例えば髪の毛みたいなコンピュータができるかもしれない。給電などの解決しなくてはいけない問題がたくさんありますが、究極的にはそういう、クネクネ曲がって隙間に入り込んだり張り付くという形状変化コンピュータを作りたいですね。

Q.そこまでいくとまったく新しい形のコンピュータですね?
入江——私としては、同じ面積の中で性能を競うという部分を度外視して、コンピュータが入り込める場所、活躍できる局面をもっと増やそう、と意識しています。

ユーザの意思を読み取るコンピュータを作る

Q.先生はセキュリティの研究にも取り組んでいらっしゃいます。様々な研究に携われている理由はなんでしょう?
入江——まずセキュリティに関してですが、IOT時代の到来で、扱うデータの中にはプライバシー領域に踏み込むデータも増えてきました。悪意のある人がそれを覗き見していたとしたら困りますよね? ですので、ハードウェアが効率的に情報を暗号化するような対抗策を作りたい。プロセッサーハードウェアとソフトウェアの連携を、システムとしてどう作るかというような研究をしています。

Q.ハードウェア側からのセキュリティ対策ということでしょうか?
入江——そうですね。人間が使うシステムのセキュリティ、例えばパスワードをいくら複雑にしていっても使いづらくなる一方ですよね? インタラクションの部分をシステムでどう補助してあげられるかが重要です。もっと言うと、人間とコンピュータの関係を考えることに繋がります。セキュリティの研究はその一環です。

Q.コンピュータの使い方を設計する、ということが大目的としてあると?
入江——そうですね。方向性としてはユーザを支援する、ユーザの状態を把握し推定する、という話になるでしょう。端的には、人の意思を読み取る事に計算力を使いたい。

Q.それは、ユーザの思考を汲んで動くコンピュータの開発になるでしょうか?
入江——例えばモバイル端末が TFLOPSの処理性能を持つようになったら、そのうちの半分、500GFLOPSくらいの処理性能を使って、ユーザが何を考えているか知ることに計算能力を費やしてもいいのではないかと思います。で、コンピュータと人間がどういう対話をしていくのかが技術展開の一つのトリガーになると踏んでいます。

Q.その技術を使った応用はどのようなものが考えられるでしょう?
入江——一つの例としては、自動車メーカと共同でドライバーの運転姿勢検知に取り組んだことが挙げられるでしょうか。その頃、バスやトラックの運転手さんが運転中に人事不省に陥ってしまって、事故を起こすということが相次いでいました。それで私は、Microsoftの Kinectを搭載したバスを作って、運転手さんが本当に運転ができる状態かどうか判定させました。

Q.自動車運転支援システムですね?
入江——まさにそれですね。あとは、視覚障碍者支援。持ち運びできるサイズのコンピュータで周辺の形状が把握できるようになってきたので、盲導犬の代わりにモバイルやコンピュータ、あるいはドローンを活用できないかと考えました。周囲の障害物の情報を把握して、地図情報と合わせてこっちに歩いてくださいと教えてあげるわけです。このように、人の動きや意思に反応し、インタラクションするコンピュータが望ましいと思っています。

Q.先生はコンピュータの性能向上を目指す研究と、コンピュータの性能をフルに使うための研究という両輪を動かされている印象を持ちました。
入江——計算機アーキテクチャの分野は成熟してきているので、研究の方向性もその二つに収束するのかもしれません。一つは、既存のものを少しでも良くする研究。例えばCPUの中に入っているオンチップメモリにどんなデータを載せると性能が良くなるか、という研究分野があって、その世界だともう1%上がれば大喜びです。その成果が地道に積み重なっていくと市場で使われている製品の世代が上がっていくわけです。その世界は国際トップカンファレンスでコンテストもあったりして、学生たちが喜んでチャレンジしています。そういうジャンルもありますが、もう一つはユニークなアプローチ、今まで出来なかったことをやろうというような研究ですね。どちらもやっている、ということになりますね。

コンピュータチップ・アーキテクチャ企業との関わり

コンピュータの性能向上、新しい使い方の模索の両面から研究に取り組む入江准教授。その研究成果の社会還元、コンピュータ関連産業との関わりとは?

Q.現在のコンピュータチップ産業についてどうお考えでしょう?
入江——チップを作る産業は偏ってしまっている部分があって、まずアメリカに集中してる。また、台湾が有力なハブを持っていますね。過去には日本の名前も上がりましたが、だいぶ減ってしまっている。コミュニティーの多様化のためにプレイヤーが近くに増えてほしいし、いろんな国にも増えてほしいと思っています。

Q.では、コンピュータアーキテクチャに対する企業の動向はどうなのでしょうか?
入江——アーキテクチャ的には向かい風と追い風の両方が来ています。向かい風は、計算機アーキテクチャの性能が上げづらくなってきていること。追い風は人工知能ブームです。人工知能対応のチップで桁が違う性能を出せば引き合いが増え、採算が取れる話に持っていくことができる。現在は色んなメーカーが参入し、オリジナルのチップを作ろうという機運が出ています。おそらく、大手のメーカーがベストな人工知能チップを出すまでは様々なプレイヤーが試行錯誤を続けるでしょう。我々にも共同研究の打診が増えています。

Q.打診はチップ設計について?
入江——半導体プロセッサーの研究ですね。今まで打診はだいぶ少なかったのですが、ここ数年はやっていると伝えると喜んで共同研究したいという企業さんが増えています。これがチップ産業やコミュニティーの再活性化には非常に良い追い風じゃないかと思いますね。

Q.大学所属の立場から、企業に対してはどう接していくことをお考えでしょう
入江——先ほどのバスの運転手の話で説明しますと、業界的には定番となっている方法が色々あります。そこに機械学習やデプスセンサ、画像センサなどを持ち込んで、姿勢をそのまま見てやろうという考えは大学の研究者側の発想で、共同研究先では持ち合わせていませんでした。当時としては珍しく、こんなに分かるものなのかと仰っていましたね。そうした発想の転換は重要な役割ではないでしょうか。

Q.企業とのコラボレーション経験も豊富とお聞きします。どのように関わっておられるのでしょう?
入江——とにかく一緒にやって社会に貢献できればいいんだ、というスタンスの企業さんもいれば、これをどうにかしてほしいという現場の話から入る企業さんもいて、それぞれに合わせています。面白かったのは、ヘッドマウントディスプレイ(図3)にカメラを無理やりくっつけてユーザが見たままのものを直接触れるプログラムを書く、という実験を学生さんと趣味感覚でやってみたところ、企業の開発者さんの目に止まって、本格的にコラボが始まったという話がありました。

図3 自作したヘッドマウントディスプレイ

Q.作ってみたらコラボが始まってしまったと?
入江——そうなりますね。たぶんアイデア自体は昔からあったと思うのですが、誰でも手に入る部品でこんな事ができるというのをSNSで発信したことも良い影響があったのかもしれません。それで、企業の次世代のヘッドマウントディスプレイにはちゃんとカメラが取り付けられました。

Q.製品化までこぎつけたのですね。
入江——その影響ではないでしょうけど、私達が企業に提案した後に他社の製品にもカメラが付いています。おそらく業界が同じ方向を向いていたから、コラボレーションが早かったのでしょう。

ユーザのデマンドに応える設計を目指す

Q.では、先生が研究内容を製品やサービスに結びつけようと考えたとき、どういう視点を持たれているのでしょうか?
入江——問題意識として捉えていることは、例えばユーザの情報がたくさん取れたとして、現段階のデータの使い方としてはおそらくそれを集積し、プライバシーが漏れないよう匿名化したうえでクラウドに集めて、ビックデータとして解析し、あなたに最適のサービスはこれですよと教えてあげることです。ある種、一方通行なところが問題で。

Q.AIが、おススメはこれです、と提案するように?
入江——そう。本当はもう少しコンピュータと対話できるサービスがあるといい。一律に処理されるのではなく、ユーザの意図をユーザごとにコンピュータに伝えられるといいですよね。そのためには、今あるコンピュータの入力手段はだいぶ貧弱で。キーボードでカタカタ打つとか、マイクで喋りかけるくらい。意思を判断するところまでまだ行っていない。

Q.まさにコンピュータインタラクションの研究に通じるところですね?
入江——ユーザ一人ひとりに応じたサービスが必要で、プッシュ型ではなくユーザのデマンドに応える反応が欲しいわけです。ただ、それには贅沢な計算力が必要ですので、その計算力を増やしていきたいというのが、研究の根本にある考え方ですね。

Q.人の意思を読み取るコンピュータという発想は、どういう経緯で生まれたのでしょう?
入江——コンピュータの在り方や我々との関係が多様であってほしいという思いからでしょうね。現状は、同じデータを吸い上げると出てくる答えはまったく同じになってしまう。ですので、人それぞれの気まぐれにこたえて、気まぐれな行動を一人ひとりがしてほしいなというのがあります。

コンピュータは画一的ではなく、多様性を持つべき

人とコンピュータの関係が多様であることを望む入江准教授は、情報社会の未来をどのように捉えているのだろうか?

Q.今後の情報社会に対してどういったビジョンをお持ちでしょうか?
入江——一時期シンギュラリティという単語で話題になりましたが、コンピュータの性能が指数的に向上していくと2045年くらいに、スーパーコンピュータの精度が人間の能力を上回ってしまうという予測が出ました。その時に試算をしてみた事があるんです。このままずっと性能が向上していくとして、そのときに一番計算能力が高いスーパーコンピュータと、一人ひとりが持っている無数のコンピュータの計算能力の総和とどっちが大きいかという単純な計算です。直感的には、人類一人ひとりが持っている計算力の総和が上回るだろうと思ったのですが、意外と拮抗していましたね。

Q.なぜそうなるのでしょう?
入江——要は人口が増える速度よりも、スーパーコンピュータの規模(ノード数)が向上する速度のほうが速いわけです。そのとき、我々一人ひとりがコンピュータを使いこなさないと画一的な社会になってしまうという予感がありました。そういう社会は嫌なので、一人ひとりが多様性を持てるようなコンピュータの開発に勤しんでいるわけです。

Q.ちなみに、ムーアの法則というのはまだ続いているのでしょか?
入江——一般的には、もう減速してると言われていますし、計算機アーキテクチャの分野だともう終わったと言う人もいますね。物理的な大きさの制約にだいぶ近づいてしまっているので。一方で、計算機が指数的に進歩するという効果は維持されると言う人もいれば、そんな事ないからソフトウェアで考えなければいけないと言う人もいます。様々です。

Q.シンギュラリティのお話がありましたが、2045年になるとフェーズが一気に変わるのでしょうか?
入江——そこは、難しいですね。ただ、昔のよくあるSFのシナリオだと、例えばマザーコンピュータにスイッチを入れた瞬間に様子が変わったりしますが、たぶんそういう事は起こりません。知らない間にどんどん変わって、後になって気付くのでしょう。

Q.コンピュータ自体の進化は予想よりも早くなっているのでしょうか?
入江——基本的にはもう減速すると言われていますが、意外としぶとく成長しているところです。さきほどメモリの性能を1%上げるだけで大変という話をしましたが、その1%の積み重ねが地味に効いてますし、新しいアプリケーションが生まれたときに専用計算機を作ると効率はぐんと上がる。流行りのDeep Learning向けのチップを作る環境にも進んでいるので、その瞬間でも性能が上がるんです。

コンピュータが辿っていく進化とは

Q.では、今後どのようなイノベーションが起こるとお考えですか?
入江——プログラムのいらないコンピュータが作れたらそれはイノベーションかなと。つまり、人の意思を察するという機能が極限までいけば、人がプログラムを書かなくても望みどおりに動くコンピュータが作れるかもしれない。実はそこまで遠い話ではないかもしれません。

Q.近い将来に起こるのでしょうか?
入江——気のせいかもしれませんが(笑)。もう少し詳しく言うと、コンピュータのプログラムは必ずしもプログラマーの望みを実現しているわけではないのです。うっかりバグを書いてしまう恐れもあるし、実はそんなに精度がいらないのに、そういうプログラムを書くしかないという仕様上の無駄も生じている。でも近似計算技術がヒューマンコンピュータインタラクションと連携するようになれば、本当はいらなかった精度をコンピュータが勝手に削っていくこともできる。決して夢物語ではないと思います。

Q.プログラマーの仕事が楽になりそうですね。
入江——そうでしょうね。昔だったらプログラマーが一生懸命考えて書かなければいけなかったような処理が、今はDeep Learningを使うことによってプログラムの生産性が向上していますし。その楽になるという方向性の究極としては、プログラムのいらないコンピュータにたどり着くでしょう。それが作れたら一つのイノベーションです。

コンピュータの新しい使い方を考えていく

コンピュータに関するあらゆる可能性を探る入江准教授の元では、どのような学びが得られるのか?

Q.先生は新しいコンピュータの形を模索されていますが、先生の研究室では例えば、Appleのスティーブ・ジョブスのように独創性な視点を重要視されているのでしょうか?
入江——ジョブズの場合はどちらかと言うと、そのときの時勢を読んで、ユーザ側の意図に寄り添った提案をしていたというか、非常にタイミングが合っていたのだろうと思います。その点、我々の技術をタイミングよく世に出せるかというとまだ残念ながら、ちょうど良い技術というのは出ていないのですが。ただ、アプリケーションを意識して研究しているところはあります。

Q.アプリケーションについてもう少し詳しく教えてください。
入江——コンピュータの用途は様々ですが、まだ新しい使い道が発見されそうだなと思える分野は多くあります。その分野にいるユーザのそばに入り込むコンピュータがあれば、新しいアプリケーションも自ずと出てくるでしょう。なのでまずはそばに入り込むコンピュータを作り、そのコンピュータで初めてできるサービスを打ち出したいですね。

Q.学生さんとの研究でもその意識を念頭に置かれているのでしょうか?
入江——そこは学生さんの興味に合わせてやっていることが多いですね。例えば音楽に興味ある学生がいたので、体を動かすと音が鳴って音楽が作れるシステムを作りました。このシステムは最近の人工知能によって可能になった、人の関節がどこにあるかを推定する技術をベースとしています。こういう姿勢を取るとどういう音楽に結びつくのか、ということをああでもないこうでもないと議論しながらユーザ評価を取っています。

好きなことに自由にチャレンジできることが研究室の持ち味

Q.先生の研究室では自由に研究できる風土がある?
入江——私自身は使い方、アプリケーションを考えるのは好きな方なんですけど、やっぱり若い学生さんに任せると、思ってもみなかった使い方を発見することがあります。ですのでやる気があって、本当に興味があるときは委ねてしまいますね。これは研究室の企画ではなく学科の有志の企画ですが、去年の五月祭で学生さん達が自主企画で電気系のバーチャルキャラクターを発表していまして。その際に私にインタビューした動画がYouTubeにアップされています(図4)。研究室に留まらず、情報理工学の生徒はこうした自主的な行動力を有しているのでしょう。

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図4 入江准教授のインタビュー動画
出典:https://www.youtube.com/watch?v=QffOfGezg7Q

Q.では、研究室の卒業生はどのような企業に就職されているのでしょうか?
入江——AmazonやIntel Japanやキオクシアなどもいますが、比較的にメーカー系が多いでしょうか。様々な学生がいますので銀行やコンサルタント会社に行く人もいます。ちょっと嬉しかったのは、先程お話したヘッドマウントディスプレイの研究をやっていた子は、協同研究で得た技術を活かすべく共同研究先に行きましたね。

Q.企業さんとの共同研究が多いとお聞きしますが、学生さんは積極的に関わることはありますか?
入江——関わってもらうようにしています。学校にいる間に企業の方とディスカッションしたり、仕事をしている姿を見せることにも教育的効果があると思っています。関連する研究に携わっている学生さんにはできるだけ打合せに同席してもらっています。

Q.学生さんの反応はいかがですか?
入江——会社の方との接点は少ないので貴重な機会と思ってもらっているようです。あとは企業の内部的な事情だったり、社会的にこういうアプリケーションが求められているといったお話をしていただくと、研究活動とは少し違う視点を持てる、といった声もあります。

Q.大学だけでは得られない経験値がありそうです。
入江——やはり企業しか持っていないデータは多いですから。NDAや特許といった概念も企業との関わりで早く触れることになりますので、そこは学生さんの教育にもなる。大学だけの研究でそこに至るには結構長い時間がかかりますし。

教育に対するポリシー

Q.学生さんをエキスパートに育てるのは大学の使命の一つですが、そのためのポリシーなどはありますか?
入江——私はどちらかというと、のびのびやりたい事をやりたいようにやってください、というのが基本ポリシーになります。教育の立場としては、卒論まではまだ最初のトレーニングですが、大学院に進んでからは伸び盛りの時ですので、そのお手伝いをするという気持ちでいます。私から提案することもありますが、やはり学生さんの世界があって、私には無かった発想もあります。そこではサポートに徹します。

Q.先生の研究室に入ることのメリットをお聞かせください。
入江——CPUをいじれるということはすごいメリットだと思います。実際に手を出している研究室も減ってしまったので。コンピュータの中をいじって、コンピュータを作る事に従事してもいいし、構造を理解した上で効率的なプログラムを書くことに繋げていけるのも一つのメリットです。逆にアプリケーションを作りたい人にとっては、将来の新しいコンピュータ像を見越して開発が始められる。今あるコンピュータの使い方ではなく、少し先のコンピュータの使い方を意識して研究ができるのが総合的なメリットです。あとは個性的な学生さんがそろっているので、その先輩たちに学べるのが一番良いメリットじゃないかな(図5)。

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図5 研究室の様子

Q.お聞きしてると、ちょっとやってみようという勢いをきっかけに色々なことが始まりそうですね。
入江——そうですね。CPUを専門にやる人間もアプリケーションに携わる人間もいるので、その専門家同士が話し合うとタッグを組んで研究室の中で動き出してしまう。そういう相乗効果が期待できるかもしれません。

研究室に入る学生に求めること

Q.先生の研究室ではどういう学生さんが向いていると思われますか?
入江——モノが考える、モノが計算するとはどういう事だろうという根源的な興味を持っている方は向いていると思います。あとはコンピュータが大好きで、その中身も知りたいという方。コンピュータアーキテクチャに興味を持たれている方は一定数いて、そういう学生さんの受け皿として機能すればいいなと思います。また、やりたい事、実現したいビジョンを持っている人。別にゲームを作りたいという欲求でも構わなくて、その欲求をコンピュータの使い方、コンピュータシステムの文脈で捉えたときにどう学んでいくか、を一緒に考えていきたいですね。

Q.学生さんにはこれからどういう人材になってほしいと思いますか?
入江——まずは確固とした技術を身につけてほしい。あと市場の中では、根源的な欲求――楽しい、面白い、苦しいという感情ときちんと向き合った技術が強いですから、誰もが盛んに研究していることの真似事をする必要はなく、自分が持っている欲求を叶える為の研究や仕事をしてほしい。定番の研究なり仕事をする事になっても、ひょっとしたら全然違う成果に結び付くかもしれません。確固とした技術を持って、臆すること無く切り開いていってほしいですね。

これから求められるのはプログラムの哲学

入江准教授が考える、今後の情報科学に求められるものとは?

Q.情報学以外の分野で、興味を持たれている分野はありますか?
入江——色々な事に興味を持っていますが、まず気になっていて、手を付けられていないのが法律です。例えば自動運転の場合、ユーザの意思とコンピュータの判断――言い換えれば社会の意思、その二つがぶつかり合ったときに、どちらを優先すべきかという問いがあります。答えを与えてくれるのはおそらく法律だと思います。情報学を勉強してきた身としては、そうしたプログラムの哲学というものを身に着けなければいけないと考えています。

Q.法律の順守を徹底しすぎると問題が生じることもありそうですね。
入江——要は、個人の自由をどこまで認めるか。自動運転車では法解釈の自由が担保されないかもしれない。それは良い事なのか?と。コンピュータを使うと簡単に法律を強制することができて、行きつく先は監視社会だった、なんて不幸な事が起こるかもしれない。目先の成果、出来事を求めていくとその流れに陥るのではないかという危惧はあります。

Q.自動車会社の考え方も重要ですね。
入江——絶対に速度違反をしない車は簡単に作れちゃうと思うのですが、でも自動車メーカーはそうしてこなかった。ユーザの意思をどういう風に尊重するかという哲学が自動車メーカーにあったのではないでしょうか。その哲学無しにコンピュータで監視して制御するとなれば、全員が納得できる答えを見つけなければいけません。

コンピュータの発展が監視社会を産まないようにする

Q.いままで出来なかった事ができるようになってくると、その視点で法律も変えなければいけないということですね?
入江——そうです。色々な分野の先生方も指摘されていると感じていますが、工学者の方面から積極的に声を上げていく、そうしなければいけないという意思を重んじていきたいです。

Q.先程の情報社会の未来とも関連した予想図ですね。そうならないために法律だったり、哲学を用いた研究が重要になると?
入江——そうですね。コンピュータと人間が手を取り合う、パートナーでいてほしいと思います。先程も言いましたが監視する、あるいは行動を支配するためのコンピュータにはなって欲しくない。

Q.パートナーという形は、例えば身体と一体化するくらい?
入江——ええ。ただし、体に埋め込むようなタイプは個人的には嫌なので、ベタっと貼るくらいがいいですね。繰り返しにはなりますが、監視社会にしないための一つの鍵はユーザの意思とコンピュータの判断とのインタラクションだと感じています。一方的な監視ではなく、お互い対話できるような。それにはどうしても膨大な計算力が必要になるので、我々がコンピュータの計算力を高めていかなければなと考えています。

Q.なるほど。他の分野はどうでしょう?
入江——具体的に動いている分野としては、福祉がありますね。これは共同研究を進めるうちに奥が深いなと思った分野です。実際に支援者の方や当事者の方とお話する機会が増えて、こちらが思っている支援とは全然違う形が必要とされていたりすることがわかってきました。

Q.具体的にというと、福祉の分野で企業とコラボレーションしている?
入江——神奈川県の視覚障碍者の団体と、それから、盲導犬の訓練センター、あとは都内の補助用器具を開発している会社といったところと組んでいます。

Q.では分野ではなく、興味を持たれている人物はいらっしゃいますか?
入江——身体情報学の 稲見 昌彦先生でしょうか。インタラクションの世界と近いのでお話する機会はあるはずなんですけど、なかなかタイミングが合わなくて。一度ちゃんとお話したいなと思っていますね。
(取材日:2020年3月25日)

キーワード

1 近似計算:真の数値とは違うが、それにきわめて近い数値を求める計算。

2 RISC-V(リスク-ファイブ):オープンソースの命令セット・アーキテクチャ (ISA)。誰もが使える、ライセンス料が無料のため、CPUコアとして使用率が高い。従来のISAより最適化されているため、既存のソフトウェアを高速、低消費電力で動かすことが可能となっている。

3 TFLOPS:コンピュータの処理性能を表す単位の一つで、浮動小数点演算を1秒間に1兆回行うことを表す単位のこと。基本単位となっている「FLOPS」は、1秒間に処理可能な浮動小数点演算の回数を表す際に用いられる。

4 Kinect:Microsoftから発売されたジェスチャー・音声認識によってゲーム機、コンピュータの操作ができるデバイス。

5 五月祭:毎年5月に東京大学 本郷・弥生キャンパスで開催される学園祭の名称。2020年で89回目の開催となっている。

6 稲見 昌彦:東京大学大学院情報理工学系研究科教授。漫画『攻殻機動隊』に登場する技術「熱光学迷彩」をモチーフとした、再帰性反射を利用した光学迷彩を実際に開発した研究者として世界的に有名。

ISTyくん