気づかないうちに優しく守られている、そんなセキュリティが安心・安全な世界を実現する

関谷勇司教授

profile

関谷 勇司(せきや ゆうじ)
東京大学 大学院情報理工学系研究科 情報理工学教育研究センター 教授

略歴
2002年 慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科 後期博士課程修了、博士(政策・メディア)
東京大学大学院情報理工学系研究科情報理工学教育研究センター教授(現職)
情報通信システム、ネットワーク仮想化技術、サイバーセキュリティなど、先進的かつ実践的な情報セキュリティ研究に従事。
ホームページ:
https://www.sekiya-lab.info/


インターネット通信の仕組み、DNSサービス、クラウドを構成する仮想化技術、サイバーセキュリティ対策など、多岐にわたる研究・取り組みを通して、世界のインターネット技術を支えてきた第一人者である関谷勇司教授。今やインターネットは私たちの社会生活になくてはならない「インフラ」となっている。今回は、関谷教授が携わってきた研究について、そして日進月歩で進化を遂げるインターネット技術の未来についてくわしいお話を伺った。
(監修:江崎浩、取材・構成:近代科学社編集チーム)


社会インフラとしての通信の仕組み、そして仮想化の技術

Q.先生の研究内容についてお話を聞かせてください
関谷――私は学生の頃から、プロトコルと呼ばれる通信規格の標準化に関わってきました。新たな技術を全世界で使えるようにするため、特にIPv6に関連するプロトコルの標準化と研究開発に携わってきています。

Q.ざっくり言えば通信の手順・規約のことですね
関谷――そうですね。近年は通信とコンピューティングの融合がどんどん進んでいて、場所を選ばず通信してサービスを提供するクラウドコンピューティングも出てきていますから、TCP/IPといった通信の仕組みそのものだけでなく名前解決も含む通信システム全体の安全性や、コンピューティングや計算機リソースとの融合を目指した基盤技術の研究を進めています。

Q.「名前解決」とは?
関谷――TCP/IPと関連するのですが、インターネットの世界では「名前解決」というのが非常に大事なサービスです。皆さんウェブサイトにアクセスするときは、URLという「https://」で始まる名前を使いますよね?その後ろ側では、DNSというサービスが機能し、名前をIPアドレスに変換してくれることで通信が実現しています。つまり、TCP/IP自体は名前を理解しません。この名前変換のサービスがきちんと提供されないような障害が起こると、全世界のインターネットが止まってしまいます。

Q.それは怖いですね
関谷――だからこそDNSサービスは、その頂点であるルートDNSという世界12の組織が、責任をもってサーバーを管理・運用しています。そのうちの一つがアジア地域で唯一日本にあり、WIDEプロジェクトと呼ばれています(図1)。世界中の人がURLを打ち込むと、きちんとWebページが表示されるのは、DNSサービスを利用しているからです。

図1:WIDEプロジェクトのウェブサイト
図1 WIDEプロジェクトのウェブサイト(https://www.wide.ad.jp/

Q.逆に考えると、ルートDNSはサイバーアタックの対象となるのでは?
関谷――そうです。最近のサイバーアタックは利益のために情報を狙うということが多くなってきているので、ルートDNSや組織が持っているDNSサーバに対する攻撃も当然あります。インターネットを壊そうとしてくる人たちです。インターネットは元々性善説でできている部分も多いため、攻撃されたときにどう防ぐかというのは非常に難しい。

Q.今の日本はどのくらい脅威にさらされているのでしょう?
関谷――サイバーアタックは日々ありますよ。コロナ渦で人々の生活様式が変わり、セキュリティの観点でも変化がありました。今までは大学の構成員は大学、企業の社員は企業に行って、その場所でパソコンを使うということが前提となっていました。つまり、その組織のネットワークを使っていた。だから“出入り口”をきちんと守る「境界型防衛」で、ある程度のセキュリティは担保できていました。ところが新型コロナウイルスの感染拡大があって、みんなが自宅からクラウドサービスを利用したり、企業・大学の書類にアクセスするようになったことで、境界型防衛では守れなくなってきています。新しい対策が必要でしょう。

Q.セキュリティの話が出てきましたが、先生は情報セキュリティ教育研究センター(以下、SIセンター)に所属されています
関谷――はい。IT基盤がインフラ化し、社会にとって当たり前のものになるにつれて、「安心・安全」というものが大きな課題となりつつあります。SIセンターでは、攻撃者や利用者を騙すような手口からどのように人々を守って、安心・安全に使えるような仕組みを提供するかということを研究しています。

「仮想化」によって安心・安全を実現する

Q.安心・安全の仕組みについて、もう少し詳しく教えて頂けますか
関谷――ネットワークは、コンピュータとコンピュータをつなぐためのコミュニケーションの手段です。みんなが均等に通信できて情報交換できるのが理想であり、本来の役割です。インターネットが社会のインフラとして認知され利用されるようになったからこそ、機密性の高いデータやプライベートのやりとりも行われるようになりました。だからこそより安心・安心に使えて、攻撃されたり覗かれない通信路をつくる必要があり、その一つの手段として出てきたのがネットワークの仮想化です。

Q.ネットワークの仮想化とは、どのように行われているのでしょうか?
関谷――利用者の用途に基づいて、それぞれの専用ネットワークを一からつくり直すのではなく、今ある基盤上に「仮想的に」プライベートな世界をどんどん重ねていくことで、さまざまなネットワークを一つの基盤の上に載せるというものです。一つ一つの仮想ネットワークは、お互いがセパレートされていて覗き見られることがない。用途に合った性格のネットワークにできます。ある拠点とある拠点でたくさんのデータをやりとりするのであれば、その2点を結ぶためだけの閉じられたプライベートネットワークをつくった方が効率が良いですよね?

Q.いま私たちが身近に利用している「クラウド」も、仮想化の技術が関係していますか?
関谷――現在「クラウド」と呼ばれている仮想マシンによる仮想化には、ITリソースの管理・運用という面で密接な関係があります。例えば通販サイトと動画閲覧は違うサービスですよね。そのサービスごとに繋がるネットワークの性質も違ってくる。だから1台の計算機の中にたくさんのネットワークを引き込んで、それぞれの仮想マシンに適切に割り振るという技術が必要です。ここが仮想ネットワークの技術であり、仮想計算機の管理技術になります。その親玉みたいな大きな集合体が「クラウド」ということですね。

Q.仮想マシンについて、もう少し詳しく教えてください
関谷――計算機の仮想化ですね。例えば普通のPCの計算機にも結構な能力があって、常にフルパワーで使い続けられるかというとそうではありません。文章を打っている、メールを打っているくらいでは大した資源を使っていなんです。そこで、1台のPCを分割・仮想化して、分割した資源をたくさんの人に割り当てて、効率的に常に働かせるというのが、元々の仮想化の概念です(図2)。

図2:広域分散クラウド
図2 広域分散クラウド

Q.PCという資源を余らせておくのはもったいない、という?
関谷――そうとも言えますね。たとえばネットワークを通して何かサービスを行うとする。するとデータセンターに置いてある1台の計算機が複数に分割されて、そのときどきで効率良く利用されるというのが仮想化の概念です。実際にはこの仕組みがあらゆるところで使われるようになりました。

Q.先生はいつ頃から仮想化ネットワークの研究を始められたのでしょうか?
関谷――私がやり始めたのは2008年くらいですね。それを基盤とした実験が始まったのが2010年です。当時、WIDEプロジェクトで大学・企業の全てのネットワークを仮想マシンで動かしましょうという取り組みが始まり、実装とマネジメントについての研究が動き出しました。

Q.社会がクラウドの活用に向き始めた頃です
関谷――そうですね。仮想マシンという概念は昔からあったのですが、商業サービスとして提供され始めたので、利用するためのネットワーク環境も必要になった。そうなると、その仮想マシンが動く土台のネットワークも専用のものが必要になり、「仮想マシンに提供するための、仮想ネットワークをどうするのか」ということが、研究テーマになっていきました。

Q.先生は計算機、ネットワークの仮想化に取り組まれてきましたが、ほかにはどのような活動をされていますか?
関谷――私が東京大学で初めて所属させていただいた情報基盤センターは、企業で言えば情報システム部門のようなところです。ネットワークや端末の面倒を見ながら、それをベースに次世代の技術や運用技術などを研究していました。東京大学を土台にして、役立つ技術は何なのかというところを問題意識として持ち、それを解決するための研究をしていたということですね。それは今でもずっと続けています。すでに引退しましたが、「Interop Tokyo」という毎年開かれるイベントの統括責任者も10年ほどやらせていただきました(図3)。

Q.Interop Tokyoについてもう少し詳しく教えて下さい
関谷――ネットワークやセキュリティ関連の製品・技術をもったベンダーや最先端の技術者が、世界中から集まるイベントです。これから発売しようとしている、もしくは製品化しようとしている技術を持ち寄って、本当に動くのかどうかというのを検証する場になっています。まだプロトタイプとして出来上がってきたばかりの新しい技術や製品を、どうにか組み合わせて動かしてみるといった、いわばネットワーク界のお祭りみたいなイベントです。そこでの経験から、新しい技術がどのように出てきて、トレンドとして流れていき、これから先どんな技術が必要とされていくのかということが、多少なりともわかるようになったと思います。

図3:Interop Tokyoの様子
図3 Interop Tokyoの様子

セキュリティ対策に変化の時が訪れた

グローバルな視点で公平なDNSサービスを支えてきた関谷教授。しかし新型コロナウイルスの感染拡大により人々の生活様式が一変する。そこから見えてきた新しいセキュリティの方法とは?

Q.ではセキュリティのお話に戻ります。今後セキュリティ対策はどのように変わっていくのでしょう
関谷――「ゼロトラスト」が最近の流行のようになっていました。ウイルス対策を飛び越えて、それぞれの端末で全ての挙動を把握して、その挙動が正しいものかを判定しなければならないという世界になっています。それをどう現実問題として実現するか、SIセンター共通の研究課題の一つにもなっています。

Q.たとえばどのような実現方法がありますか?
関谷――AI技術を使うことで、ネットワーク上での通信や端末の挙動を基礎データとして、正常と違う挙動があったときに、未然に疑わしい端末を調査・隔離する…といったことが可能になるのではないかと考えています(図4)。画像の分野ではAIの深層学習が当たり前になってきていますが、それと同様に、通信のパターンやバリエーション、通信の量、使われる時間帯、通信先といったものを特徴量として考えて、異常な動きをした端末を見つけ出せるはずです。

図4:AIを用いたセキュリティ構想
図4 AIを用いたセキュリティ構想

Q.サイバーセキュリティでもAI技術が重要視されているのですね
関谷――とはいえ、サイバーセキュリティの分野にAIを適用する取り組みは始まったばかりです。画像解析や顔認識に比べるとまだまだ未開発です。パラメータをどういうアルゴリズムに適用していくかは、まさに手探り状態なので。

Q.AIはより活動的な作業をサポートするという役割になるのでしょうか
関谷――はい。セキュリティは大事ですが、それを守るために人間の能力や時間を使うのは本来の在るべき姿ではないと考えています。ある規範に従って行動していれば守られて、その上で自由に使える世界をAIによって実現できればと思います。利用者とセキュリティ管理者をアシストするための技術をAIにて提供するというのも、SIセンターが掲げている大きな研究テーマの一つです。全ての人がコンピュータやセキュリティの専門家になる必要はないですから、ある程度の知識やセキュリティリテラシーをもって利用していれば、きちんと守られるという世界を提供していきたい。

Q.すこしSFな観点かもしれませんが、AI技術の危険性はないのでしょうか?
関谷――AI技術がどうこうというより、テクノロジーの使い方次第です。ダークサイドにいく人も当然いるでしょう。セキュリティ分野は本当に守る側と攻める側のいたちごっこで、こちらがAIを導入すると、当然攻撃側もAIを使おうとしてくるんです。きちんと多くの人が守られる仕組みというものを、エンジニアリング的につくるということが重要な観点ですね。

拡散してしまった情報の回収も可能になる?

Q.セキュリティといえば情報漏洩も切実な問題です。この点も先生の領域の一つですか?
関谷――情報が漏洩しないようにするのは私の領域の一つですし、さらに別のやり方もあると考えています。情報のオリジン(発生源)と、その情報がどういうふうに伝わっていったかをきちんとトレース(追跡)できるようにして、そのトレースされた範囲で全ての情報を取り消しすることができるのではないかな、と。最近の暗号化技術などを使って、情報の拡散に対して責任をもてるような技術を構想しています。

Q.情報の取引記録がトレーシングできる仕組みをつくるということですね
関谷――はい。ブロックチェーンに準ずるような技術でしょう。また、不正にコピーされない、コピーされないからこそトラストがあるという拡散の仕組みもつくるべきです。究極的には、送っている1バケット1バケットのデータに対し、だれがどう生成して送ったのかまでトレースできる世界が一番安全ですけど。

Q.全ての通信がそうなっていくのでしょうか?
関谷――いつかは実現すると思いますが、当然莫大なコストがかかります。全世界がその方向に動くというのはまだ考えられません。ただ通信データの中には、トレーサビリティを絶対もたせなければいけないデータが数多くある一方で、その必要がないデータもある。どの粒度でトレーサビリティをもたせ、トラストを得られるようにするのか。分散トラストなのか集中トラストなのか。それを信じて情報を拡散できる世界がつくれるのかということは、セキュリティの一つのテーマですね。

Q.セキュリティでは、通信速度も課題になりますか
関谷――それについてはエッジコンピューティングがキーワードになります。今までの通信の世界は、手元のデバイスとその先にあるインターネット、そのまた先にあるクラウドを結びつけて通信していましたが、クラウドまでわざわざ通信しにいくと時間がかかります。しかし基地局のすぐ近くにエッジコンピューティングのリソースを置くことで、分散計算を行うことができるようになります。コネクテッドカーのように瞬発的な計算・判定が必要なときは、デバイスが基地局近くのエッジコンピューティングリソースに直接データを送って、そこで計算をして結果を返すといった使い方が想定されています。実現には5Gのネットワークスライシングという通信の用途によってネットワークの仕組みを切り替える規格が必要です。

Q.通信量が増えたことで出てきたのが5Gだと思っていましたが、自動運転などは5Gでなければ稼働できないような仕組みなんですね
関谷――そうです。インターネットをより高速化することが必要になっているのが、今の時代と言えます。そのためのより安心・安全に使えるインフラとして出てきた一例が5Gです。

Q.自動運転は通信が要になるのであれば、そこを妨害したり偽のデータを送られることのないように、セキュリティを徹底する必要がありそうです 関谷――想像していただけたらすぐにわかると思いますが、間違ったデータが送られると車の挙動が変わって危険な運転になってしまう、そんな車に乗りたいと思うでしょうか?怖くて乗れませんよね。だから通信インフラが守られて、攻撃者によって操作されることが限りなく少ないと思うレベルにしなければいけない。多くの人が身を任せても大丈夫だろうと感じる段階まで、システムのセキュリティを高めるということが必要です。

Q.逆にエッジコンピューティングが普及することでITサービスのスピード感が変わっていくのでしょうか?
関谷――これまでは、クラウドに対してサービスをつくり上げて、人気が出てたくさんのアクセスが集まるようになると、クラウド資源を増やすことでサービス規模を大きくしていく流れでした。エッジコンピューティングを使うと、クラウドまで集めることなく全世界にサービスを提供できるかもしれません。また、日本でも全国にエッジコンピューティングリソースが置かれた場合、それに対してサービスを適用すれば、自分から一番近いところでサービスが受けられて、すぐに反応が返ってくるといったようなインフラがつくれる可能性はあると思います。

さまざまな企業、そして国との関係から、より実践的な研究が生まれていく

特定の技術を突き詰める企業に対し、中立な立場で社会としてのシステム構築を目指すSIセンター。双方の強みを生かした取り組みについて語っていただいた。

Q.先生がご所属されているSIセンターは他分野や産業界との交流は多いのでしょうか?
関谷――そうですね。SIセンターは暗号化やセキュリティに関して、実践的な研究をしているメンバーがほとんどです。我々はそれらを、どうやったら一般の人々に使いやすいものにできるか、サイバーアタックから守ることができるのか、というところを企業の方々と一緒に考えています(図5)。

図5:SIセンターにおける研究、教育内容
図5 SIセンターにおける研究、教育内容

Q.SIセンターは様々な企業と付き合いながら、たくさんのパブリックドメインを動かしています。それはきっと単独の企業ではできないことですね
関谷――セキュリティ研究というのは、企業だけでできることは限られています。暗号化技術など特定の技術に関して突き詰めるという点では企業の方が強い部分もあるでしょうけど、社会システムの安定性を上げるために全体として何を目指してどういうシステムをつくってアシストしていくか、という点では中立な立場である大学の出番でしょう。

Q.あくまで中立である必要がある?
関谷――グローバル性や公平性という観点で、偏りのない目で見た研究をするのが大学だと思います。ですから企業内での実践的なセキュリティシステムを応用して、今まで気づかなかった部分を強化したいとか、世の中のために新たな視点でセキュリティの仕組みを加えたいというような研究を行いたい企業さんがいらっしゃいましたら、ぜひ一緒にやらせていただきたい。

Q.SIセンターとは別に、先生はデジタル庁でもお仕事をされています
関谷――はい。デジタル庁ではシニアネットワークエンジニアという肩書きです。政府省庁で使われるネットワークや、その上で動くシステムの仕組みを提供しながら、合わせてセキュリティ対策にも取り組んでいます。政府として在るべきネットワークの姿というものがあると考えていて、省庁間で安全にデータがやりとりできる必要があります。コロナ渦でWeb会議をすることも難しいという状況だったので、安全性を保ちながら、職員が効率良く仕事を遂行できるようにネットワークを提供するのが、私のチームの使命です。

Q.デジタル庁の創設とも関連しますが、日本はデジタル化の波に乗り遅れていると言われています。先生としてはどうお考えでしょうか?
関谷――デジタル化の波に乗り遅れたかどうかは、考え方次第でしょう。ただ、政府がIT(情報技術)というものを真剣に捉えて効率的に利用し、サービスを展開しようという意識が今まであったかというと、それは疑問ではあります。今やネットワークは世界をつなぐインフラであり、それを使うことでより効率的に、より革新的なサービスを提供し、国民の生活が今までより便利になるということをきちんと認識することが求められています。それは大学も同じですけれど。

Q.国の中枢、官僚組織は現業を止めるわけにはいきません。その中でどうやってIT化のアップグレードをしていくのか、というのは難しい課題ですね
関谷――仰るとおりです。大学でも研究・教育のためのネットワークということで、一時的だとしてもネットワークが使えなくなることに非常に敏感です。ネットワークがあることが常に当たり前になっているので、その基盤に基づく形で、旧来のものの上に新しいものをつくっていく必要がありました。例えば安心・安全の仕組みを入れたり、障害の起こらないネットワークをつくるには、今までのネットワークの上に更新して重ねていく、もしくは入れ替えていくという技術が必要です。

Q.大きな組織になると全部を変えるのは不可能でしょうね
関谷――ええ、まさに今デジタル庁で取り組んでいる課題です。さきほどWeb会議ができなかったと話しましたが、理由はネットワークのセキュリティがガチガチで、外部の人とビデオ通話をする、動画をやりとりするということを想定した造りになっていなかったからなんです。そういった昔のネットワークがあって、じゃあWeb会議ができるネットワークと入れ替えましょうと提案しても、なかなか受け入れてもらえない。そこでどうするかというと、今までの通信はそのまま使いながらWeb会議の通信だけは横からバイパスを使ってつなぎましょう、というふうに、各省庁を説得してWeb会議が実現したという経緯があります。

世界中で活躍する研究者たちとのパイプを繋いでいく

関谷教授は、学生が自分の研究と世界中で行われている研究を相対化し、目的意識をもって取り組めるようサポートしている。教授の指導ポリシーについて伺った。

Q.セキュリティ分野では海外の最先端の方々とのコミュニティがあると思います。海外との交流について教えてください
関谷――海外の方とのやりとりは日常的に発生しています。インターネットの世界というのは、日本国内で ローカルに決められているわけではありません。世界のあらゆる場所でさまざまな情報交換をしなければ研究できないものばかりです。情報交換を通して新たな価値や研究テーマを見つけるという点では、若い人の力がすごいですね。学生さんには勝てないものがあります。

Q.たとえばどういった研究事例があるでしょう?
関谷――ネットワーク仮想化の技術の一つを使い、地理的に場所を指定して、その周辺にだけデータをばらまくという研究をした学生がいます。これは緊急地震速報などに使える技術です。今のTCP/IPの仕組みでは、例えば日本のある地域に限定して、そこにいる人だけにデータを届けるということは難しい。その学生はプログラミングのコンテストにも応募して、1階から4階まであるビルを模したものを作って、2階だけにデータを届けますというようなことをやっていました。

Q.熱意を実現されていますね。先生の研究室ではそうした熱意を後押しされているのでしょうか?
関谷――研究室を始めさまざまな知り合いがいますから、学生が本当に何かをやりたいと言った時には、その最先端の分野の方と結びつけることができると思います。暗号化技術、セキュリティのための検知方法やシステム、ネットワークを使った新たな高速化のやりとりなど、何かやりたいということが見つかった場合は、その最先端で研究している人はだれで、その人とコンタクトをとりながら進められるよというところは、サポートできる部分が多いかもしれませんね。

Q.研究室には最初から目的を持って入ってくる方が多いのでしょうか?
関谷――そうとも限りません。自分のやりたいことを自分で発見できるようになれば一番良いでしょうけど、そうでないパターンもあります。ただ、どちらであろうと自分の研究テーマが世界中で行われている研究のどの部分に属していて、どういう技術革新や社会の改善につながっていくのか、ということをきちんと自分の言葉で説明できる学生さんはすごく伸びる。器用に何でもできるのではなく、自分が何をやっているのかをきちんと理解して研究する学生さんを育てていきたいです。

Q.では、先生の研究室にはどんな学生さんが向いていると思いますか?
関谷――私の研究室はセキュリティだけでなく、通信の仕組みや、システムをいかに使いやすくするかといった領域も含まれています。通信の仕組み自体に興味がある、下支えをするものがどう動いているかというところに興味をもてる学生さんが向いているかもしれません。また、機械学習の理論やデータセットを使って、機械学習的にセキュリティの脆弱な点を導き出したいといった学生さんもいますので、通信に関わることであれば受け付けたいですね。

関谷勇司教授※インタビュー中はコロナ対策により、マスク着用としております
※インタビュー中はコロナ対策により、マスク着用としております

現在のITインフラを、だれもが自由に、安心・安全に使い続けられる世界の実現へ

関谷教授が思い描くIT社会、そして通信ネットワークにおけるイノベーションとは?

Q.先生がこうあるべき、望ましいと思う社会とはどのような形でしょうか?
関谷――「ITインフラを使っている」という実感なしに、全ての受けたいサービスがITインフラを通して受けられる。危険性を心配することもなく、自由にさまざまなサービスを受けられる。そういったサイバーフィジカルな世界ですね。

Q.サイバーフィジカルについてもう少し教えてください
関谷――サイバーで判断されたことがフィジカルの判断材料となって実現されて、人間の行動をサポートする世界、ということです。コネクテッドカーはまさにその技術でしょう。ただ、サイバーの世界で騙されるようなことがあれば、間違った行動で人間の命を脅かすような結果にもなりかねません。サイバーフィジカルの世界がどんどん実現して、高度ITインフラの時代が来ると、より安心・安全というものが絶対的な命題になってくるでしょう。

Q.そのためには、いろいろな技術革新が起きる必要がある?
関谷――もしかしたらインターネットの仕組みをつくり直すくらいはしないといけないかもしれません。でも、さきほど言ったように全部一斉に置き換えることは絶対に無理な話ですから。そのために何が必要か、というところですね。そこが一つのイノベーションでしょう。安全な通信という意味では量子インターネットという方法論もありますが、現状ではこのITインフラの上で、だれもが自由に、安心・安全に使い続けられる世界すら訪れていない。

Q.あらゆるものが通信で結びつけば、それだけセキュリティ対策の重要性が増すわけですね
関谷――そうです。やはり人の命に直結するような、人のライフサイクル・ライフスタイルを守るようなサービスは、よりセキュリティを強固にすべきでしょう。特にフィジカルな形で、その判定が命の危険につながるようなサービスには、率先してサイバーセキュリティ対策を施すべきです。個人データの根幹たるものである国家を支えているようなデータもそうです。国レベルの攻撃も当然ありますので、まずはそういったものからきちんと守られるべきです。

Q.たとえば交通機関もでしょうか?
関谷――もちろん。運行システムをやられたら大変なことになりますよね?つながっていないから大丈夫だろうと思われる電力配送など、実はいろいろやられたりします。人を騙して、人を介して攻撃されることもたくさんある。人の運行・命を預かるようなシステムは、ぜひ安心・安全という次の次元に突入してほしい。ファイアウォールがあるから大丈夫とか、インターネットから切り離されているから大丈夫とか、そういう世界ではないと思っていただきたい。

Q.将来的にはサイバーの判断が必須になるのでしょうか?
関谷――サイバー世界の情報・データがきちんと反映されて、フィジカルの世界の人間生活を豊かにする道具として使われ、その結果に基づいて何かの判断が行われ、行動が促進される。そういった循環がきちんと出来上がってくるはずです。私たちの老後は、そうした技術によってサポートされるのではないかな。これが情報技術の恩恵だと意識しないくらいのレベルにまで日常に浸透していくでしょう。

Q.情報技術が非侵襲的な形で社会に取り入れられていくのですね
関谷――これまでは「縛られる」という感覚があったと思います。でもこれからは「任せられる」という感覚で過ごせる環境をつくらなければいけない。たとえばPCの行動全体をレピュテーション(評価)して、その行動は危ない、普段の行動に比べてどれだけ突拍子のないものなのかといったことを特定づけすることで、今すぐブロックした方がいいのかどうか判断する技術も出てきています。ようは何かを制限するのではなく、気づかないうちに優しく守られているという感覚をもてることが、本当に必要なことなのではないでしょうか。すぐに実現できる技術ではないので、様々な企業や団体と連携しながら開発していきたいですね。
(取材日:2021年11月11日)

キーワード

1 ルートDNS:ルートサーバを管理・運用している組織は、世界で12組織ある。その内の一つVeriSign社が2つのサーバを運用しており、計13種のDNSサーバがルートDNSとして稼働している。

2 WIDEプロジェクト:1985年に前身となる「WIDE研究会」が発足。インターネットに関する研究・運用プロジェクトで、全国の大学や研究機関、企業など100を超える団体が参加している。「実践的基礎・応用研究」の環境を提供し、従来の研究組織にない成果を創出してきた。詳細はこちらhttps://www.wide.ad.jp/

3 境界型防衛:自社内ネットワークと外部ネットワークの境界線で、セキュリティの脅威を阻止する防御のこと。ファイアウォールなどを使用。

4 仮想マシン:Virtual Machine、略して「VM」とも呼ばれる。物理ハードウェアシステム上に作成され、1台のホストで複数の仮想マシンを同時に稼動させることができる。

5 情報基盤センター:東京大学内外の研究・教育、社会貢献などを目的として、情報処理を推進するための基盤的研究を行う機関。1999年に設置。学際大規模情報基盤共同利用・共同研究拠点としての役割も果たしている。詳細はこちらhttps://www.itc.u-tokyo.ac.jp/

6 Interop Tokyo:毎年開かれるインターネットテクノロジーのイベント。1994年に初開催されて以来、国内外から数百の企業・団体が参加し、技術動向とビジネス活用のトレンドを発信してきた。詳細はこちらhttps://www.interop.jp/

7 ゼロトラスト:「何も信頼しない」を前提に、さまざまな対策を講じるセキュリティの考え方。クラウドの普及によりインターネット上に保護すべきものがある状況が増え、従来の内側だけを守る対策では不十分になった。

8 ブロックチェーン:仮想通貨の基幹技術として生まれた概念。ネットワーク上にある端末同士をつないで、取引記録を暗号技術で分散的に処理・記録するデータベースの一種。高い信頼性が求められる金融取引や重要データのやりとりなどが可能になる。

9 エッジコンピューティング:ユーザーなどに物理的に近い場所で演算処理を行うコンピューティングのこと。サービスが高速化して信頼性が高まるというメリットが生まれる。

10 コネクテッドカー:ICT端末としての機能をもつ自動車のこと。車両の状態や周囲の道路状況などのさまざまなデータをセンサーにより取得し、ネットワークを介して集積・分析する。

11 ネットワークスライシング:単一のネットワークインフラを仮想的に分割(スライシング)し、さまざまな用途に応じたサービスを提供・運用する技術。

12 量子インターネット:複数台の量子コンピューターを相互接続するためのネットワーク基盤のこと。接続により演算能力が指数的に上がることが期待される。

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