光×コンピューティング。つないで組み立てる能力を養い、センス・オブ・ワンダーで研究を動かす

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profile

成瀬 誠(なるせ まこと)

東京大学 大学院情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教授


略歴
1994年 東京大学工学部計数工学科卒業、1999年東京大学大学院工学系研究科計数工学専攻博士課程修了。日本学術振興会リサーチアソシエイト、東京大学助手を経て2002年より国立研究開発法人情報通信研究機構。2017年グルノーブルアルプス大学招聘教授。2019年東京大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻教授
ホームページ:http://www.inter.ipc.i.u-tokyo.ac.jp/


光を使った意思決定システムや、時刻同期を用いたネットワークなど、光を駆使する研究で世界から注目されている。学生時代から光と情報の研究分野に取り組み、今も光の新しい可能性を探り続けている。その研究人生で遭遇した圏論で、新しい情報システムへの扉を開こうともしている。研究のキーワードは「つなげる」――それは成瀬教授の研究姿勢そのものでもある。その研究観や、成瀬教授が取り組む研究および企業との関わりなどについて語っていただいた。
(監修:江崎浩、取材・構成:近代科学社編集チーム)


光への興味から光システムの研究へ

Q. 先生の現在の研究テーマについて教えていただけますか?
成瀬——光コンピューティング、情報フォトニクスに関する研究です。大きくは3つの方向性があって、第1は光をコンピューティングに如何に生かすかという研究。第2はコンピューティングや数理の力を光学に如何に生かすかという研究。第3はこれらの方向を拡大するような新しい基軸の展開と理論基盤の構築です。

Q. それぞれ簡単にご紹介いただけますか?
成瀬——一つ目の研究では、最近は光を用いた意思決定の研究を行っています。意思決定問題は情報通信技術の幅広い応用の基礎になっていて、光を使うことで高効率・高速に行うことを目指しています。二つ目の研究は2020年11月に着任した堀﨑遼一准教授を中心に、コンピュテーショナルイメージングという光学の新しい方向を追求しています。三つ目の研究では、高精度の時刻同期技術を用いたネットワーク技術で、従来の通信で不可欠だった複雑な調停(アービトレーション)を軽快化し、通信遅延を保証できるようにする原理と技術を研究しています。また物理モデル・数理モデルはいろんな研究で重要なのですが、2019年に本学に異動したことをきっかけに圏論を用いたモデル理論の探求にも着手しているところです。

Q. より詳しく研究内容を伺っていきたいと思いますが、その前に先生が現在の研究につかれるまでの経緯を教えていただけますか?
成瀬——私は1999年に本学で博士号を取ったのですが、テーマは光インターコネクションに関するものでした。指導教員は石川正俊先生(現・本学特任教授)です。LSI(Large Scale Integration:大規模集積回路)のチップの間を光でつないで並列処理をするという研究をしました。チップとチップの間の情報伝達がボトルネックになることが1980年代から言われていたのですが、それを超並列の光技術で解決しようという内容です。
  当時は光の超高速性や並列性に興味があり、情報通信研究機構(NICT)に就職したのちは、フェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒)という超高速フォトニクスを用いた光情報処理にまず着手しました。NICTはフォトニクスの研究がとても強く最新の機材がありました。しかし、様々な研究を行っていくなかで既存の技術には様々な原理的な課題もあるなとじわじわと感じ始めました。

近接場光との出会いから新たな光情報システムを着想

Q. どのような課題ですか?
成瀬——光は“小さく”することができません。光は波として広がろうとする性質があって、LSIのような小さな寸法に光をそのまま詰め込むことはできないんです。これを回折限界といいます。また、これは電子も同じなのですが、0、1という情報のバケツリレーで計算をするので、コンピューティングのエネルギー利用効率がとても悪いという問題があります。毎日、巨大な光システムを目前で見ていましたので、これは何か根本的に新しい原理や技術を考えてもよいのではと感じ始めたのですね。そこで出会ったのが近接場光でした。

Q. 物理的な壁があったわけですね。近接場光とはどのようなものですか?
成瀬——通常の光システムで使われる光は、空間を伝わる伝搬光といいます。先ほどの回折限界のため、およそ波長よりも小さくはできません。一方、近接場光というのは物質に局在した光で、波長とは関係なく物質にまとわり付いた光です。NICTに在籍していた当時、近接場光学の創始者である東京工業大学の大津元一教授がたまたま講演に来られました。私はその講演を聴きながら、ああ、これはこれに使える、あれにも……といった感じで、いろいろアイデアを思いつきましてやがて先生との研究協力が始まりました。総務省のSCOPEプロジェクトなども進めました。その後、大津先生が東大に移られ、そこのNEDOのプロジェクトに私自身も客員准教授として参加し、近接場光を使った光情報システムの研究が展開していきました。 そうこうするうちにこの近接場光にもいろいろと課題があることが見えてきました。近接場光の利点を最大限に発揮させるには、それに即した使い方が必要であり、従来の光システムでの光の使い方とは全然違う新しいアーキテクチャが必要だったのです。

Q. 従来の方法論では扱えなかったわけですね?
成瀬——はい。根底的な部分から新しいアーキテクチャを考えることができるだろうと。そこで出会ったのが粘菌コンピューティングでした。

粘菌と光の深い関係?

Q. 粘菌というのは、迷路に入れると勝手に解いてしまうという研究が話題になりましたね。
成瀬——はい。粘菌には、とにかく生き延びようとする性質があります。環境を察知し、自らを変態させて飛び散ったり、エネルギー取得のために自らの体を変型させたりと。そういった粘菌の性質に着目したのがアメーバコンピューティングです。当時、非線形科学の国際会議が神戸であったのですがそこで初めて知りました。なんとも粘菌と近接場光は似ていると思ったのです。粘菌が体を変形させていく様子と、近接場光によって光のエネルギーが伝達していく様子が。そこから、近接場光を使った解探索の研究が展開していきました(図1)。

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図1 アメーバからナノ光コンピューティングへの展開

Q. 粘菌が近接場光の問題を補ってくれたというわけですね?
成瀬——はい。そればかりでなく、光の様々な側面と粘菌的様相とのつながりが見えてきました。例えば、粘菌の確率的な動きに相当するものは、光では何なのだろうかなどと模索しているなかで、「単一光子を用いた意思決定」というアイデアに至ったのですね。光には「粒子と波動の二重性」があるのですが、これを意思決定に直接に生かせると。この研究が注目されて、米国Google本社に2016年に招聘されました(Science Foo キャンプ)。Googleでの件はあとでも触れることができればと思います。
  その後、光の高帯域性や多重性を生かしたユニークな現象である光カオスも意思決定に使えると分かりました。これは、光ならではの超高速な意思決定を可能にします。埼玉大学の内田淳史先生との協働で、今も発展しています(CRESTプロジェクト) 。それから、ここでは詳しく述べませんが、最近では量子的な現象であるエンタングルメント(もつれ光子)も活用しています。「協調的」な意思決定とのつながりがあります。

Q. 問題が出るたびに新たな解決策を見つけてこられたわけですね。そのような柔軟性はどうしたら得られるのでしょうか? 光への飽くなき興味ですか?
成瀬——光への興味というよりも、私の出身である計数工学の特長でもある、数学と物理と情報のバランスをうまく取りながら、システムとしてアプローチするという、その基本姿勢が根っこにあるのかなと思います。

人工知能の課題「意思決定」に光を照らす

現在は光の研究だけにとどまらない成瀬教授だが、出身研究室のころから光に向き合い、光情報研究の下火の時代も経験した。その経緯とは?

Q. これまでの研究の流れから、現在の光を用いた意思決定に至っている様子がわかりました。AIとフォトニクスの最前線の研究はどんな状況なのでしょうか?
成瀬——プリンストン大学のPrucnal教授のグループは、光ファイバーを神経回路に見立てた光ニューロモルフィックコンピューティングを発展させています。MITは光導波路上での深層学習に2017年に成功しました。光リザーバーコンピューティングは欧州など活発に研究されています。日本ではNTT・東工大納富先生のパスゲートロジック、NTTの光イジングマシンなどがあります。他にも、光と計算の合成系でいうと、堀﨑遼一准教授のコンピュテーショナルイメージングという分野も伸びています。日本も元気な状態な気がします。

Q. そのなかで、意思決定の研究とはどのようなもので、何が課題なのでしょうか?
成瀬——現在取り組んでいるのは多本腕バンディット問題と呼ばれるもので、数多くのスロットマシンのなかから当たり台を速く正確に選ぶというものです(図2)。探索を十分にすれば当たり台は分かるのですが、探している最中には外れ台も引いてしまうので損もします。かといって探索が不十分では良い台を逃してしまうかもしれない。当たり台が時々刻々と変わることもあるでしょう。このように「探索と活用のジレンマ」と呼ばれる難しいトレードオフがあって、様々なアルゴリズムが研究されてきました。強化学習などの基礎になっている重要な課題です。
  ここに、光の物理現象を直接に生かしてしまおうというわけです。カオスを使って超高速化するとともに近接場光を使って超高集積化し、エンタングルメントを使って協調化します。前述しました、欧米でのAIフォトニクスは、一定の事前学習を必要とする認識機能にとどまっていました。もっと高次の機能まで、フォトニクスが貢献できる可能性を追求できないかと。意思決定の研究はその入り口ということもできると思います。海外の研究者ほど私たちの研究への感度が高くて、先ほどのGoogleもそうなのですが、オリジナリティを評価いただいている感じがすごくあります。

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図2 光を用いた意思決定の研究事例

ゼッタバイトの時代に向け息を吹き返した光コンピューティング

Q. なるほど。光と情報の関わりが感じられますね。この分野の歴史を少し振り返っていただけますでしょうか。
成瀬——はい。大学院の指導教員である石川先生は、超高速ビジョンや高速ロボットという全く新しい世界を開拓されましたが、その前に、光アソシアトロン、つまり「学習を実現した光連想記憶システム」の研究で世界をあっと驚かせました。1980年代のことです。当時の光コンピューティングはものすごい活況だったようです。
  しかし、こうした光コンピューティングの研究はLSI技術の驚異的発展とともに急速に下火になっていきました。「コンピューティングは電子で、通信は光で」という機能分化が進んでいきました。学会の名称も Optical Computing から Optics in Computingに変わりました。

Q. 現在の情報フォトニクス研究は、さかのぼると、光アソシアトロンという人工知能につながるわけですね。ところが、それが一度は下火になったと?
成瀬——はい。ところが、2000年代以降、再び、光をコンピューティングに生かそうとする研究が世界で同時多発的に始まります。その理由は、やはりコンピューティングに関する需要の圧倒的な増大があるでしょうね。現在では、一日当たりに世界で生成・消費されるデータはゼッタバイト(1021バイト)を優に超えています。ヨタバイト(1024バイト)となるのも時間の問題と個人的には感じます。むちゃくちゃに大きな値ですね。こうなると、既存の電子コンピューティングや光技術のままでは、さすがにまずそうだなと皆が直感しているというところでしょうか。ムーアの法則の終焉といいまして、集積回路技術の限界も叫ばれているところです。だからこそ、量子コンピューティングやニューロモルフィックコンピューティング、光コンピューティングなど、自然系にインスパイアされた新しいコンピューティングの重要性が増しているのでしょうね。

Q. 光コンピューティングが下火になっても、先生のようにずっと続けてきた研究者は世界にいたわけですね?
成瀬——はい。それから、今になって、1980年代の研究を再評価する人も出始めています。例えば、並列光コンピューティング(図3)という一旦はしぼんだ考え方が、ここにきて、特にフランスの研究者などは称賛していまして一部は再活用されているんですね。このようなことを考えますと、ブームのようなものは気にせず、インスピレーションに基づいてその時代におけるオリジナルな結果を残すことがとても重要であるという、学術の原点ともいえる研究姿勢の重要性を感じずにはいられませんね。

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図3 1980年に興隆した並列光コンピューティングの概念図。近年復活する動きもある。

Q. 光コンピューティングの研究を続けてきた研究者は、なぜ続けてこられたのでしょうか?
成瀬——一ついえるのは、光の分野は、全体としては伝統的な分野なんです。昔の光コンピューティングが低調になったあとも、「情報フォトニクス」つまり「光+情報」という形で、落ち着いて研究ができる環境がありました。それから、90年代からは先ほどの近接場光学は典型例なのですが、光科学そのものが飛躍した時期だったように思います。光デバイス技術も最近では相当に革新された気がします。こういった技術環境の変化も今日の新たな形での光コンピューティング・情報フォトニクスの展開につながっている気がします。

Q. 光コンピューティング研究に対する企業の取組みはどう変わっていったのですか? 国のプロジェクトはずっと続いてきたのでしょうか?
成瀬——昔のブームのときは、それこそ国内の電機メーカーがほぼすべて興味を示していて、関連する研究会も活況だったと聞いています。光技術は裾野がものすごく広くて生命科学、環境・エネルギー、材料・デバイス、計測などなど、本当に広い分野にまたがっています。その観点からは「国プロ」は様々な形で続いていたような気がします。現時点では、私たちのプロジェクトは小さな一例にすぎませんが、光コンピューティングや情報フォトニクスに関連したプロジェクトがいくつか走っていますね。

圏論は新たなシステム情報学に貢献するか?

非常に速い光システムの構築を目指すなか、成瀬教授の関心は新しいシステム情報学の追求にも移っていく。どのような研究なのか?

Q. 三つ目の新しいモデリングの研究、特に圏論を用いるということですが、どのような内容なのでしょうか?
成瀬——先ほどの光を用いた意思決定では、光のシステムと不確実な環境が結びついていて、このなかに光やスロットマシンの確率的な動きが含まれています。多くの要素が互いに影響を及ぼしながら、じわじわと、やがて良い意思決定ができるようになります。このような様相を明確にすっきりと描くことはできないだろうか? 何が何に関係しているのかを明確に把握できないか? もしそれができれば、システムが大規模化した場合や目標とする価値基準が変わったときにもシステマティックに対応できるのではないか? そんなところが圏論を使って光意思決定システムの基本構造を理解しようという研究の根っこにあります。

Q. なるほど。意思決定システムの構造を圏論で紐解こうというわけですね。
成瀬——はい。8面体図式といいまして、6個の要素が8面体の頂点にあって、このなかで4個の三角形の上で、要素がぐるぐると回りながら事態が進展していくという構図に収まることが分かりました(図4)。
  圏論は対象と対象の関係性やシステムの構造的な性質を述べることに、実に適していると感じます。現代的なシステム情報学の在り方すら議論できるのではないか。共同研究者の山梨大学堀裕和教授、長浜バイオ大学西郷甲矢人教授とともに、じわじわと着手しているところです。

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図4 圏論的システムモデリング:光意思決定システムのモデル(左)、ソフトロボットのモデル(右)

Q. なるほど。構造を論じる数学としての圏論を、システム情報学にも適応すると。なぜ、既存の理論では難しいのでしょうか?
成瀬——これまでのコンピューティングの歴史を雑ぱくに振り返ってみますと、チューリングがチューリング機械というコンピューティングの基礎概念を示しました。その後、フォン・ノイマンがフォン・ノイマンアーキテクチャを考案し、これが現在のコンピュータにつながります。また、シャノンの情報理論が構築され、通信の限界理論が示されました。ウィーナーはサイバネティックスを提唱し、制御工学や通信工学の適用範囲を、広く社会、生物、人間系に拡張し、システムの学術基盤を構築しました。

Q. まさに現在の情報通信科学の基盤を築いた人たちですね。
成瀬——はい。逆にいえば、今、私たちが知っている理論は、これは言い過ぎかもしれませんが、フォン・ノイマンやウィーナーの時代とあまり変わっていないのかもしれません。しかし、それはまずいのではないか……。
  例えば、現在では、Society 5.0やデジタルツインという、物理世界とサイバー世界が一体となる世界像が叫ばれ、また、インクルーシブという言葉も広がって、多様な価値観の重要性が認識されています。はたまた、多発する自然災害など不確実な環境変化への対応が課題になっています。もちろんコロナ禍もですね。このあたりは過去のシステム論では十分にカバーできていない気がします。これらを、複合の課題、価値基準の課題、動的不確実性の課題と呼ぶことにしますと、実に、圏論的アプローチと関係しているような気がします。新しいシステム情報学の基盤ができたらいいなと……。

完成度の高いシステムの課題

大学単独では発展させるのが難しい領域もある。大学研究者として注視すべきこととは?

Q. なるほど。それは面白そうですね。さて、光と情報の研究分野は、これからどのように発展していくとお考えですか?
成瀬——東大に異動して思いますのは、学生さんが本当に素晴らしく優秀ということです。きっかけとチャンスを与えると驚くべきスピードで成長していきます。うちの助教のニコラショヴェ先生(フランス人・高等師範学校出身)ともども毎日驚いています。これで良い成果が出ないとしたら明確に教員側の責任ですね(笑)。若い人たちには私などが全く想像できないような新しい世界を開いていってほしいです!
  さて、それはさておきまして、国研(国立の研究所)から大学に異動して思うことに、完成度の高いシステムの構築の問題があります。どういうことかといいますと、やはり国研のほうが設備の積み上げや予算が圧倒的なんです。完成度の高いシステムを素早く作ることができます。ここは大学のウィークポイントだと思います。そのため、産官学連携の補完的推進や、バトンゾーンにてバトンを引き渡すような感覚、逆に、基盤的な課題こそ大学が引き受けるという姿勢の重要性を改めて感じています。

Q. 完成度の高さということに関連して、先生がこれまで企業と行った研究について具体的に教えていただけますか?
成瀬——大日本印刷(株)さんと近接場光関連の国プロで共同研究を行ったのですが、本当に素晴らしく完成度の高いデバイスが出来上がりました(図5)。「階層型ホログラム」というものなのですが、先端技術大賞を受賞しています。これは、アカデミアだけでは決してできないレベルだったと思います。実際の市場投入という企業側の価値基準と、学術的新規性というアカデミア側の価値基準が、うまく折り合ったケースのような気がします。この共同研究の延長戦は現在でも続いています。

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図5 階層型ホログラム:伝搬光では3次元像が見えるが近接場光で別の情報が読める。

Q. 企業との共同研究は大学にとって不可欠ということでしょうか?
成瀬——不可欠というのとはちょっと違うのですが、違うもの同士が出会うところには特異性がありますので、何か新しいことが起きないはずはないと思います。特に、市場メカニズムが入るともろもろ加速します。ただ、大学側は知的好奇心を駆動力とすべきと思いますし、何より学生の育成という極めて重要なミッションがあります。大学側の意識と、企業の価値基準には大きなずれが生じ得ます。このバランスを取れる範囲において意義があるのは確かと思います。

大学の研究はプルーフ・オブ・プリンシプルで進める

Q. 先生は大学での研究で大事なことは何だと思われますか?
成瀬——私たちは基本的に「プルーフ・オブ・プリンシプル」や「プルーフ・オブ・コンセプト」、つまり原理・原則・コンセプトの実証を目指して研究を進めます。私たちとしては、厳しい基準で目標を設定しているつもりですが、企業の基準は当然ながらそれよりもずっと高いところにあります。企業にとっては事業の継続が第一であり、そのための厳しいチェックが常に入ります。そういったひりひりとしたプレッシャーが、可能性を切り拓くという学術研究の基本態度とうまく折り合うことができると良いと思います。

Q. 今、企業とはどのようなテーマで共同研究をされたいですか?
成瀬——ネットワーク関連のテーマは重要と思っています。通信会社さんなど様々な可能性があると思っています。三つ目の研究として紹介した新しいネットワークとは、無線双方向時刻同期技術(Wireless two-way interferometry: Wi-Wi)を基礎としています。Wi-Wiは、NICTの志賀信泰博士が発明した技術で、現在も志賀先生らとネットワーク応用を研究していまして、NEDOのポスト5Gのプロジェクトにも採用されて、今、本格的に立ち上がってきているところです(図6)。調停をものすごく軽快にしたアービトレーションフリーネットワーク。これからが楽しみです。

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図6 高精度時刻同期を用いたアービトレーションフリーネットワークの研究

センス・オブ・ワンダーをベースに研究を動かす

Q. 研究するうえで、どのような環境が重要だと先生はお考えですか?
成瀬——私はまだ本学に着任したばかりですが、ここはとても気持ちよく研究できる場所ですね。ものすごく当たり前に聞こえるかもしれないのですが、研究者同士や事務官と研究者の間に、互いの存在や互いの研究・業務を尊敬し合い、大事に思うという意識がありますね。実に、当然のことを言っていると思うのですが、これはそんなに簡単なことではないと思うのです。

Q. 研究者同士が互いの研究を尊重し合うことは重要なのですね。
成瀬——先ほど少し触れました、米国Googleに招聘されたScience Fooは、私の人生を変えたような気がします。世界中からありとあらゆる分野の研究者、サイエンスコミュニケーターを250名ほど集め、朝から夜までずっと議論するのですね。事前のプログラムはありません。

Q. なるほど。もっと詳しく伺いたいです。
成瀬——分野や職種が全く異なっていても、本当の研究者なら、本当のコミュニケーターなら、互いを尊重し、障壁なく対話でき、互いを刺激し、新しいアイデアがどんどん創出されるということですね。それを目の当たりにしました。そこで出会った研究者の一人に、カナダのゲオルグ・ノルトフという脳科学者・精神医学者・哲学者がいます。日本語訳の著作も出ている超トップ研究者ですよ。そこで、先ほどの圏論と意思決定のことを話していたのですが、そのゲオルグがものすごく食いついてきました。そこから共同研究が始まり、その後、彼は頻繁に日本にやってきて議論しました。本当の研究者というのはこうなんだなと。つまり、研究分野にこだわらず、何か新しいことがありそうだと思えば、研究をググッと動かしていくという姿勢。これも当たり前のことではあるのですが。

つないで組み立てる

画期的な研究が行われる成瀬研究室では、日々どのような指導が行われているのか? 成瀬研で学べることとは? 注目する分野は?

Q. そうした研究姿勢については、学生を指導される際にも意識されていますか?
成瀬——私は研究で最も重要なのは組立て能力だと思っています。ただ、この能力を養うのはものすごく時間がかかる気がします。私が遅いだけかもしれないのですが。30代後半とか40代になって、ようやく、やっとできるようになるという感じだと思うのですがどうでしょうかね(図7)。

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図7 研究室スナップショット
撮影:今村拓馬
UTokyo Voices :https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/voices093.html

Q. 組立て能力とは、具体的にどのようなものですか?
成瀬——非常にいろいろなことを含んでいます。研究はもちろんですが、環境から社会から歴史から……何もかもです。私たちの研究室のWebサイトのURLに含まれている“inter”とは、「つなげる」を意味する“intertwine”の略なんです。

Q. そのために何か具体的に意識されている指導方法はあるのでしょうか?
成瀬——うまい指導方法があったら教えてほしいです! やはりon the job、on the researchでトレーニングするしかないというのが今のところの結論です。卒論でも大学院での研究でも、そこで学び取るべき普遍的なことを明確に示唆していければ、私が40代でようやく身に付けた能力を、今の学生さんにはもっと早く、加速して身に付けてもらえるかもしれないですね。

バックボーンがあれば新しいことに挑戦できる

Q. それは素晴らしいですね。ほかに、先生の研究室で学べることなどを伺えますか?
成瀬——世界的に見てもユニークな研究を行っていますし、そのように評価されていると思います。様々な可能性を追求できます。それから、こうした研究の基礎となる光学、情報フォトニクス、非線形科学の知識を身に付けられることです。これは強調してよいと思うのですが、これらの基礎知識は、先ほども少し述べたのですが、時定数が比較的ゆったりしているのですね。すぐに古くなることはないと思います。今後の研究生活にとってバックボーンとなるはずです。バックボーンの存在は研究に安定を与えてくれるので、安心感を確保して、そのうえで、新しいことに挑戦していけると思います。

Q. 研究生活を送る学生にはどのようなアドバイスをされたいですか?
成瀬——思う存分やってくださいということに尽きます。先ほど紹介したGoogleの会議で、私は、「世界にはこんなにも変な奴らがいるのか。自分はなんて穏健なんだろう……」と強く思いました。お前がそれをいうな! という声が聞こえそうですが(笑)。これは本当にそうです。

Q. 世界にはすごい人たちが沢山いると?
成瀬——はい。全くそのとおりです。

他分野の研究者と「価値」について語り合いたい

Q. 先ほど、他分野とつながることの重要性を指摘されましたが、情報系以外で先生が注目されている分野はありますか?
成瀬——進化的意思決定という研究があります。生物学とゲーム理論が融合したような領域なのですが、これは生物だけではなくて、光を使った意思決定システムなど、人工的なシステムにも示唆的なところがあるような気がしており、関連の研究者と議論したいです。

Q. その他にどのような研究者と語り合ってみたいですか?
成瀬——光と情報に関連する研究者の議論を広げたいですね。それに加えて、ゲオルグのような脳科学者、それから行動経済学の研究者などとも、例えば意思決定を基軸とした様々な可能性について議論できるように思います。数理科学の研究者との連携も、ますます重要になる気がします。
(取材日:2020年3月25日)

キーワード

1 光カオス:レーザー光の中で生じるカオス現象のこと。カオスとは非線形科学(キーワード3を参照)の現象の一つ。成瀬教授らのAIフォトニクスの研究では“乱雑な波の振幅”として現れる。その値がある基準値より大きいか小さいかや、そのカオス的特徴を加味した上で意思決定の指標とする。

2 サイバネティックス:生物の脳や機械などの複雑な対象を「制御」と「通信」が絡み合う一つのシステムととらえ、統一的に扱うことを目指した学問。アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが提唱。人工知能や非線形科学といったその後の研究に影響を与え、広範な研究領域に適用された。

3非線形科学:一般に、線形(一次)項より高次の項を含む微分方程式で記述される科学 / 科学現象の総称。乱雑な振る舞いを示す現象が多いが、あくまでも決定論的法則に従って起きる。コンピュータを使わないと解けない場合が多く、計算科学の発展とともに研究が進んできた。

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