次世代システムのコア技術“超低電力化”に挑む
システム情報学専攻 中村 宏 准教授

『データレジデント』と呼ぶ新概念で突破口を開く
高性能を維持して電力抑制へ多彩な知恵統合

中村 宏 准教授 PCなどIT機器を使っている人はあまり実感がないかもしれないが、実は、その消費エネルギーが大きな問題になっている。「心臓部のシステムLSIの高性能化によって、IT機器が消費する電力は爆発的に増加している。このまま推移すると、もはやITによる情報化社会の恩恵を受けられなくなる」―危機感を募らせる中村准教授は現在、システムLSIの低電力化に全精力を集中している。その切り口は「無駄な電力を削減する」こと。これは高性能を維持したまま、ローパワー化を図るという、相反する条件を満たすことを意味するだけに、実現するのは簡単ではない。LSIの高性能+低電力化技術は、次世代のスーパーコンピュータ、サーバ、PC、ゲーム機、ケータイなど多様なシステム開発に計り知れないインパクトを与えるために、世界のエレクトロニクス研究者がしのぎを削っている。新しい概念で突破口を開きつつある中村准教授の研究は、日本のエレクトロニクス産業再生のカギを握っていると言っても過言ではない。

リーク電力の削減に世界の研究者が注目

 コンピューターシステムに求められる要件は何かと聞かれたら、高性能、高機能、高信頼と答えるだろう。間違いではないが、この3大要件をひっくるめた“高性能”とトレードオフの関係にある“低消費電力”が大きくクローズアップされ、『高性能+低電力』の実現を迫っている。システムの性能は、その中枢であるVLSIのトランジスタが担ってきた。トランジスタのデザインルールを微細化し、集積度を上げることによって達成してきたが、デザインルールがナノの世界に突入し、45nmから32nmへと限界のサイズに近づくにつれて、動作に伴う電力よりも、動作しないで待機しているときに消費するリーク電力のほうが大きくなることが指摘されている。最新のCPUでは、1cm2当たりの消費電力が100Wを超えており、VLSIの集積度が高まれば、動作中に生じる熱と、待機中のリーク電力による熱でCPUがメルトダウンし兼ねないのだ。熱対策の上でも低電力化は重要な課題で、VLSIにかかわる世界の研究者がこの難問にチャレンジしている。中村准教授が描いたシナリオは、『必要なとき必要な数のトランジスタだけを動作させ、動作が不必要なトランジスタには電流を流さないようにする』ことだ。

プロジェクトの全体構想
プロジェクトの全体構想
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 消費電力を削減するために、トランジスタのスイッチングを抑制する回路技術はすでに開発されている。これは動的な消費電力に対する答えであり、問題となるリーク電力を確実に削減するには、不必要なトランジスタ回路の電源をオフに(パワーゲーティング)する必要がある。このために中村准教授が用意した回答が、冒頭に指摘した無駄な電力を削減する『データレジデント』という戦略である。

 「トランジスタの微細化によって1回の演算に要する電力も小さくなっている。では、どこで大きな電力を消費しているか、それはデータを移動するとき。カギは、データの流れを最適化することです」。つまり、データレジデントは、データを時間的にも空間的にも局所領域に閉じ込め、データの移動を抑制してトランジスタの動作による電力を減らした上で、動作が不必要となるトランジスタ回路の電源をオフにしてリーク電力を削減するという構想である。

 この戦略を実現するには、電源のオンオフ回路技術だけではむずかしい。回路はもとより、アーキテクチャで行うのか、システムソフトウェアで実行するか、これらの組み合わせで行うのかを総合的に判断しないといけない。いわば、階層を超えた連携が不可欠で、中村准教授は、システム情報学を専攻する研究者らしい視点を打ち出した。慶大、東京農工大、芝浦工大から低電力回路技術、アーキテクチャ、OS研究のスペシャリストを結集するという作戦を展開。2年前にCREST(革新的電源制御による次世代超低電力高性能システムLSIの研究=5年計画)をスタートさせ、システムLSIの消費電力を現状レベルに抑えたまま、プロジェクト終了時の2011年度に消費電力当たりの処理能力を100倍向上させるという目標を掲げた。「2年目のいま、数値目標をどのくらい達成できたかは、まだ言えません」と笑うが、「設計データを分野の違う研究者全員が共有し、性能と電力を見極めながら、寄ってたかってトライ&トライを繰り返しているところ」。進展具合からみて、高い数値目標突破に自信ありと見た。

データレジデント戦略によるパワーゲーティング パワーゲーティングを実装した乗算器Pinnacleのチップ写真と電力評価
データレジデント戦略による
パワーゲーティング
パワーゲーティングを実装した
乗算器Pinnacleのチップ写真と電力評価
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 CREST研究は5年間で終了するが、IT機器の高性能化&低電力化という要求は、PC、情報端末、家電など広範な分野に及ぶ。すでに、システムLSIの低電力化研究の中から、情報化社会を支えるITシステム全体の低電力化を目指す新発想も見えている。「データの流れを最適化するという考え方をもっと拡張したら、発想の違う画期的なシステムアーキテクチャを構築できる可能性があります」。見通しは確かなようだ。

“プロジェクトが人を育てる”

中村 宏 准教授 中村准教授は、東大工学系研究科の電気工学を卒業後、筑波大(電子・情報工学系)に転出し、世界最速のスパコン「CP-PACS」開発(5年計画)に携わる。1996年に完成した「CP-PACS」は、目標どおり世界最速を記録し、素粒子や宇宙物理などの研究に役立てられた。このCPUのアーキテクチャ(擬似ベクトル処理)は、中村准教授のアイデアによるものだ。「ワクワクしてとても楽しかった」と研究生活を振り返りながら、「世界トップを狙うという非常に厳しい、大きな目標を与えられ、しかも、実現できたことが、その後の研究人生の多大な後ろ盾になった」と言う。“プロジェクトが人を育てる”ことを身をもって感じたのだ。

 現在、革新的な超低電力高性能システムLSIの研究に携わっている若い研究者は、中村流に言えば、『世界一を目指すのと同じくらい、非常にむずかしいテーマに挑戦できる喜びを味わえる幸せ者たち』だろう。その喜びを実感してもらうには、プロジェクトを成功させることが先決なのは言うまでもない。この成果がまったく新しいHPCや情報端末を誕生させ、私たちの生活を100倍豊かにする見通しを付ければ、日本の国際競争力復権の足がかりになるのは間違いない。中村准教授の持論「社会や人に貢献する研究」が実現するかどうかの答えは3年後に見えてくる。

ISTyくん