数値計算に新たなパラダイムの創出を
数理情報学専攻 杉原正顕 教授

独自の理論「Sinc近似+DE変換」で目指す
計算誤差を飛躍的に改善、応用拡大へ布石

杉原正顕 教授 科学技術や産業を支える基盤となっている数値計算。コンピューターを駆使した大規模な数値計算なしには、科学技術の進展はなかったといっても過言ではない。未来の科学技術の進展と社会を拓くキーテクノロジーの1つでもある。この領域で杉原教授は、計算誤差のオーダーを飛躍的に改善する公式『DE-Sinc法』を編み出している。2つの公式の良さを融合したもので、数値計算のコアとして強力な武器になりうる。「具体的なアプリケーションに使われ始めたので、これからが楽しみ」と相好を崩す。この新しい数値計算アルゴリズムを物理、化学の科学技術の世界だけでなく、ファイナンス、社会科学など、あらゆる分野で活用する数値計算のツールとするために、使いやすさをいっそう高める。真の狙いは“数値計算のブレークスルー”の実現にある。

2つの公式のズレに着目、“ベスト”な理論に

 数値計算は、地球環境、ライフサイエンス、ナノテクノロジー、航空・宇宙、原子力など、巨大科学や自然現象の解明、設計に欠かせない手段である。たとえば、日本列島を含む東アジアの天気予報は、20km四方に切ったメッシュのモデルを使っているが、もっと精度の高い予報を可能にするために、日本周辺を5kmとか1km四方のメッシュで捉えられるよう急ピッチで研究が進んでいる。自動車にしても、現在は130万点ものメッシュで表現し、衝突の衝撃によって部品がどのように影響するかを計算している。つまり、数値計算は、高性能コンピューターとともに、現代の科学技術、産業を支える柱になっており、将来もその役割を担うのは間違いない。

2つの公式の考え方を取り入れたDE-Sinc法
2つの公式の考え方を取り入れたDE-Sinc法
1970年代より、Stenger教授等が開発したSinc近似公式に基づく数値計算法、略して Sinc法に、わが国で開発された最適数値積分公式、DE公式の考え方を取り入れた数値 計算法がDE-Sinc法である。

 ところが、計算結果を弾き出すコンピューターがいくら高性能化されても、現象などを解く数値計算には誤差がついて回る。そこで誤差を少しでも小さくする計算法が求められる。杉原教授は、こうした数値計算のトレンドを見据えて、誤差の非常に小さい「Sinc近似法」と「2重指数関数型公式(Double Exponential formula=DE公式)」という2つの公式に注目した。

「DE-Sinc法」と「Sinc法」の精度の比較
「DE-Sinc法」と「Sinc法」の精度の比較
クリロフ部分空間法の数値例
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 Sinc近似法は、米ユタ大学のStengerが見いだした公式。関数の数値微積分、常微分方程式、偏微分方程式の数値解法など、ほとんどの問題に対する数値計算アルゴリズムを構築できる特徴があり、ここ30年にわたって、この公式にもとづく数値計算法が理論、応用の両面から広範に研究されてきた。この公式で得られる近似は、無限区間上の問題しか適用できないという課題があったが、数値積分の分野で発達した変数変換技法と組み合わせることによってこの課題を解消し、数値計算法の分野に確固とした地位を築いている。

 一方、1974年に最適な変数変換を用いて、数値積分を高速に計算するDE公式が日本の研究者によって開発された。東大のコンピュータ科学専攻の創始者、高橋秀俊および森正武の両氏によるもので、世界に誇るべき数値計算の公式といわれている。これを使うと、面積を積分して求めるとき、少ない計算回数で精度の高い結果が得られる。ただ、誤差解析の道具が数学的に厳密に扱うのがむずかしい方法(鞍点法)だったために、この公式で得られた知見がSinc近似にもとづく数値計算法と結びついて考えられることがなかった。それどころか、Sinc近似の発明者のStengerは、「DE公式理論には間違いがある」と森氏に手紙で指摘したという実話も残っている。

 数値計算研究を展開していた杉原教授は、「DE公式の理論は正しいのに、間違っていると指摘されたのは、積分するときの関数のクラスか何かがズレているのではないか」と発想し、数値計算における変数変換の有効性にフォーカスして追究を開始した。両方の公式を読み解くうちに、DE変換をSinc近似にもとづく数値計算法に組み入れることにより、誤差の少ない、精度の高い新しい数値計算法を開発できると気づいたのだ。『DE-Sinc法』と名づけたこの公式は、誤差のオーダーを限界に近いほど改善することが可能になり、Sinc近似による数値計算法をさらに発展させることとなった。この成果について、Stengerも高く評価したという。

未開拓の数値計算領域を拓くツールへ

杉原正顕 教授 『DE-Sinc法』で何ができるのか。現実に流体や構造計算などに使うケースが増えてきているが、航空機や構造物の設計など具体的な例への適用はこれからで、まだ要素技術の研究に留まっている。それには理由がある。「3次元の物理現象の解明に応用する際、その一歩手前でこの理論に乗せやすいように事前処理を行う必要がある」からだ。特に、複雑形状の場合は対応がむずかしいので、幅広い利用に応えるために、まずDE-Sinc法のライブラリーを用意するなど、使いやすくする工夫をしているところだ。「有効性は高いので、多くの分野で使ってほしい。そのためのライブラリーの充実に力を入れるし、3次元形状もスムーズに扱えるように強化していきたい」と今後の方向を示す。そのシナリオも描かれている。このDE-Sinc法の研究以外に、非常に大きな連立1次方程式を速く解く、クリロフ部分空間反復法の研究を進めている。最近注目を集めているクリロフ部分空間反復法の1つ、IDR(s)法の研究を通して、計算速度を飛躍的に改善した『GBi-CGSTAB法』を開発している。

 杉原教授は、東大計数工学の第4講座で統計学を学ぶ。その過程で数値計算に興味を持ち、計数工学科助手を経て、筑波大の電子・情報工学系に転じる。このお膳立てをしたのが当時、筑波大にいた森氏である。1980年代の終わりごろユタ大学に留学、ここでStengerとも知己を得ている。

 「実験も理論研究も両方できる、そこに魅力を感じ、数値計算に軸足を置くことになった。数値計算には万能の理論はありません。だから、研究が成り立つんです。オールマイティーが登場したら、その分野は死に絶えますから」。オールマイティーはなくとも、ベストはある、それを追究するのが夢とも。加えて、精密科学になりつつあるファイナンス、複雑ネットワーク、社会科学など、数値計算が本格的に使われていない分野がまだ残されている。未開拓の領域を数値計算というメスで切り込めば、数値計算に新たなパラダイムを創出できる―研究の芽を探る眼は鋭さを増している。

ISTyくん