数理工学を駆使し、子どもたちに夢と喜びの世界を
数理情報学専攻 杉原厚吉 教授

不可思議な立体の組み合わせでだまし絵を表現
独創的なモニュメントや芸術的な作品も自在に

杉原厚吉 教授 『冗談好きの「く」の字、気まぐれリング、柱のたわむれ、へそまがりの窓、壁の達人』…。これらは杉原教授が編み出した“立体”のだまし絵である。だまし絵と言えば、エッシャーが描いた2次元の絵が有名。それを立体にするのはむずかしいと言われてきたが、杉原教授はトリックなどを使わずに、実際には存在し得ないような形を組み合わせて立体として表現した。公園のモニュメント、トリックアート、建築物、おもちゃなどに展開すると、大人も子どもも楽しめる世界となること請け合い。このスギハラ・ワンダーランドの世界を導き出したのは数理工学である。「芸術的なセンスに恵まれていなくても、数理工学という道具を持っていれば、オンリーワンのアートの世界を演出する芸術家にもなれますよ」。それがホントかどうか、教授の研究室を覗いてみよう。

「誤差があっても安定して動く」ロバストの発想

 『立体錯視ミュージアム』。工学部14号館の5Fに、こんな看板のかかった部屋がある。ドアを開けると、テーブルの上には紙でつくった奇妙な立体が並んでいる。「これって、いったい何」と訪れる人が驚きの声を上げるのを待っているかのようだ。「これらが“不可能立体”と呼んでいる私の創作物」と杉原教授。コンピューターに奇妙な形の立体を記憶させ、棒などの動きを加えると、通常ではあり得ない不思議なことが起きる。それが不可能立体の正体である。TVで無限回廊というゲームを見る機会もあるが、コンピューターの画面でしか存在しないのに対し、不可能立体はまさに立体そのもの。これはどこから生まれたのか。

遠近逆転串刺しの技
3本の垂直な柱を持った、ありきたりの立体に見えるが、
動きを加えると不可能モーションの錯視が生じる

 コンピューターで図形や立体などを扱う幾何計算では、教科書に載っている正しいはずの理論をそのままコンピューターが読める言語に翻訳しても、正常に動作するプログラムが得られるとは限らない。「コンピューターの中では、有限の精度で計算するしかないから」というのがその理由だ。有限精度とはどういうことか。ナゾ解きに「3分の1」の計算を取り上げよう。「0.333…」と「3」が無限に続くが、コンピューターでは24ビットとか32ビットとかケタ数が決まっているので、どこかで打ち切らないと答えを出せない。表現した数自体も近似値で、この結果に誤差が入り込み、それが原因となってプログラムが異常終了したりする。

 異常終了しては困る。そこで杉原教授は考えた。「誤差がある世界だから、正しい計算はしていないかもしれないが、あり得ない状況に陥って処理が破綻してしまうことのない頑強な(ロバストな)計算法を開発したい」。発想の原点となったのは、誤差がないと仮定すること自体が間違いと気づいたことだ。初めから誤差があることを前提とし、どのような誤差に対しても決して破綻することのない完全に安定した、汎用性のある計算法(超ロバスト幾何計算法)の開発に視点を置き、成功したのだ。

 「デザイナーが描いた立体の図形をコンピューターが理解してくれたら、設計の自由度は大きく広がる。それが新理論によって可能になったのです」。コンピューターが手描きの図形を理解できるようになったのは、入力した図形を読んで解く方程式の使い方に秘密がある。通常では方程式の数が多すぎるために、コンピューターが答えを出せなくなっていた。杉原教授がメスを入れたのは方程式の数。余分な方程式を取り除き、組み合わせ方に工夫を取り入れ、誤差の影響はあっても誤差が判断の致命傷にならないように、離散数学という手法を取り込んで仕立て上げた。これによって、むずかしいと言われただまし絵の立体化にも道を拓いたのだ。しかも、展開図もつくれる。厚紙に写してハサミで切ったり折ったりするだけで、紙工作でだまし絵を立体にできる。こうしてつくり上げた不思議な立体が、研究室ミュージアムのギャラリーに並んでいる作品群だ。

水平と垂直の葛藤
水平と垂直の葛藤
左の壁を水平に貫いている2枚の板が
右の壁を貫くときには垂直に並び、さらに右端で水平に戻っている。
このような立体はだまし絵に描くことができるだけでなく、実際につくることができる

勢力圏の様子がわかるボロノイ図の応用も

 数理モデルの1つ、ボロノイ図の研究もおもしろい。空間がいくつかの対象の勢力圏に分割されてできる図形である。地図上に数ヵ所あるコンビニが、それぞれどのくらいの住民を顧客として確保できているかを知るのに使えるし、救急病院、消防署の勢力圏もわかる。これまでのソフトウェアでは、同一円周上に4点以上の点(コンビニや救急病院の場所)があるとダウンしてしまうことが多いが、杉原教授はボロノイ図の安定な計算法を見いだし、何点あっても実行できるという自信作だ。細かく観察すると間違いはあるが、それでも辻褄が合った答えを導き出せるという、超ロバスト幾何計算法の発想が決め手になった。高級車の効率的な配線を実現するために電線の束の大きさを予測したり、試合中のサッカー選手の勢力圏図から各選手が果たす貢献度を評価したり、たんぱく質の結合状況を調べて薬の解析や設計に生かすなど、ボロノイ図の応用拡大にも取り組んでいる。

杉原厚吉 教授

 杉原教授は工学部計数工学科の修士修了後、電子技術総合研究所(現産総研)に入り、通産省のパターン認識大型プロジェクトに参加し、絵を解釈して立体を取り出す研究と取り組んだ。ここで立ちふさがったのは誤差の問題。奮闘のすえ、理論的に絵を理解するコンピューターができたと思えるところまで漕ぎ着けた。しかし、それをもとにしてつくったソフトウェアでは、立体を立体として解釈してくれなかった。このショックがロバスト研究に向かう契機となり、誤差のない理論をつくることよりも、誤差を容認することで新しい世界が開けることを具体的な成果で示したのだ。

 「芸術家は直感を大切にし、直感に基づいて構図などを決めるようです。でも、勢力圏図を使った方法でもアートが生まれるし、鳥と魚の絵を与えると鳥が変形して、いつの間にかすき間から魚が浮かび上がってくるようなアートもできます」。数理工学を駆使すると、芸術家的なセンスを発揮できると強調する杉原教授の話を聞くと、そう思えてくる。自らの夢は、本格的な立体錯視ミュージアムをつくることだそうだ。子どもたちに夢と楽しさを感じてもらえるような仕掛けを飾るために、新しい数理の発掘に挑んでいる。

ISTyくん