バーチャルとリアルの融合で新しい“知”を創造
知能機械情報学専攻 廣瀬通孝 教授

VRから「ミクストリアリティ」の世界へ橋渡し
コンテンツがCG、ロボット発展のカギ握る

廣瀬通孝 教授 たとえば、カーペットの中に巧妙に情報をしのばせておく。その上をスーッと歩いて行くと、足元の位置によって変わる信号を特殊なカメラで捉えることによって、建物の中のどこに自分がいるのかがわかる。情報をしのばせるのはカーペットであっても、壁や床、天井であってもいい。「建物の中に入った途端、GPSは使えなくなるけれど、こんな屋内位置情報取得システムがあったら、楽しくないですか」。廣瀬教授は、バーチャルリアリティ(VR)の世界に現実の世界が入り込んできて、新しい『ミックストリアリティ』という世界を演出する、そこがおもしろいというのだ。VRはコンピューターの中の世界だが、現実の世界と積極的に融合することで、新しい“知”が見えてくる。その芽を創造するのが目標である。

 廣瀬教授らは、JSTのCRESTで「デジタルパブリックアートを創出する技術」プロジェクトを推進している。その一部を切り出して、昨年5月、「木とデジタル展」を開いた。メディアアートの新しいジャンルを目指した試みで、この中で冒頭の技術を利用した「時空のカーペット」という作品を展示した。カーペットには時計の模様があり、木の葉に瞬きをするかのような細工を施し、この葉が舞い落ちて積もった下に敷かれている。降り積もった葉をかきわけたところをカメラで見ると、木の周辺の過去の様子を位置に応じて見ることができる。木のつくりだす空間と人の関係が時間に変換されて体験できる。現実の世界にVRの世界を取り込んだ様子を、カーペットと木の葉などで表現したのだ。

「木とデジタル展」の模様 「時空のカーペット」
「木とデジタル展」の模様と「時空のカーペット」

 VRが研究対象に取り上げられてからおよそ20年。コンピューターという箱の中に、3DのCGを使って、意のままに動かせる現実と同じような世界をつくるところから研究は始まった。そしていま、2つの潮流が現れている。1つは先のミクストリアリティの方向で、VRの世界と現実の世界をうまく混ぜることによって、さらにおもしろい世界を表現できるだろうという方向。もう1つは、VR技術によってつくられる世界の中身の充実、いわゆるコンテンツという新領域への展開である。

試金石は交通博物館のかつての姿の再現

 ミクストリアリティの他の事例として廣瀬教授が示したのは、一昨年の5月まで、東京・神田須田町にあった交通博物館の再現プロジェクト。交通博物館は、大宮(さいたま市)に新設された鉄道博物館として衣替えし、新スタートを切ったが、昔ながらの交通博物館に郷愁を覚える人は、鉄道マニアだけではない。そこで、建物や展示物などを写真4万枚に収め、かつての博物館をVRの世界の中で再構成することを目指してプロジェクトが始まった。

 一般に古い建物などの再現には、ゼロからモデルを合成したCGが使われる場合が多いが、人々の記憶のひだに触れるような細かい部分まで合成できない場合が多い。それに対し、写真は現実そのままのものだから、モデルという抽象化の手段を飛び越えて、すべてを保存できる。このプロジェクトでは、2D情報である写真をもとに、高度に集約された情報技術を駆使してアーカイブ博物館や部屋を3D世界として再現し、思い出の部屋の中を歩き回ったり、展示物に触れたりできるようにする仮想の交通博物館を演出できるようにしたのだ。CGによる自由な体験と、写真による豊かで細やかな表現が合体しているのがこの手法の特徴である。

交通博物館のデジタル再現 マヤ遺跡の復元
交通博物館のデジタル再現 マヤ遺跡の復元

 VRによる保存の意義は何だろうか。たとえば、首都東京の新しい顔として東京駅を創立当初の3階建て建物に復元する大改造が始まっているが、復元によってわれわれのよく知る戦後昭和の東京駅は失われてしまうという皮肉な現象がある。古いものを保存しようとすると、新しいものをつくり込めないという悩みが出てきて、逆に新しいものにチャレンジする活力が失われる危惧が出てくるかもしれない。廣瀬教授は「由緒ある歴史を持つ建物などについては、実物保存のほかに、クオリティーの高いVRの世界で残していく方法がある。そのためのツールを充実していくのが、われわれ情報研究者の役割。現実世界は新しい世代に譲るほうがいい」と強調する。

情報科学に欠かせない『意味論』の確立を

江﨑 浩 教授 コンテンツについてはどうか。言うまでもなく、これからの情報技術のカギを握るものだ。これまでのVR技術は3Dの世界が見えて、それと双方向にインタラクティブができるというフレームワークを確立してきたが、そこにどんな世界をつくり込めるかの研究はこれからである。「コンテンツ研究はむずかしい。情報科学という立場で見たとき、出口(最終目標)の意味を最初から押さえておかないと、結果があやふやになる」。廣瀬教授は数年前、科学技術館で行った、マヤ文明の遺跡をVR技術で再現したときの例を語った。この仕事は初めてまとまったVR世界をつくったという意味で大きな評価を得たが、「世界をつくり込めばつくり込むほど、出口は情報科学を離れて、考古学の話になってしまう」「でもね。意味論を含んだ情報って何だということについて、きちんと考えていくこと抜きには今後の情報学は語れないでしょうね」

 コンテンツはまだアニメやゲームと直結したイメージが強いが、その関係する分野は技術全体である。TVやコンピューターはその後ろに大きなコンテンツがあってこそ機能する。いずれロボットもコンテンツが重要なキーワードになるだろう。現在、情報理工学系研究科を中心に、少子高齢社会のためのロボット技術の研究が行われているが、この場合もコンテンツ研究の後ろ盾がないと技術開発が立ち行かなくなるだろう、技術開発とコンテンツ開発の一体化が待ったなしのところまできていると廣瀬教授は指摘する。ここに出口論、意味論の重要性が浮かび上がってくる。

 「新しいコンテンツには新しい技術が必要です。僕のこの机の上に、あのレイア姫をすっと浮かび上がらせたら、みんなオッと驚くでしょうね」。世界的に大ヒットした映画『スター・ウォーズ』。あのレイア姫のように美しいキャラクターを予想外の場所に、3Dディスプレーで登場させられたら―。こんなことも廣瀬教授の夢の1つなのだ。どういうコンテンツにするかは、「まだ、ヒ・ミ・ツ」と茶目っ気たっぷりに笑った。 

ISTyくん