昆虫で探る脳-環境適応能を設計する
知能機械情報学専攻 神﨑亮平 教授

生物学と工学の融合が拓く『生命知能システム』
昆虫そのものが操縦するロボットで方向性を示す

 「このロボット、昆虫のカイコガが操縦しているんです。見事な動きでしょう」――。カイコガの機能を真似てつくった人工的な脳がロボットを動かしているのではない。生きているほんもののカイコガがドライバーなのだ。生物と機械の融合という研究の視点で仕掛けた、神﨑教授の頭脳が産み出したシステムである。この研究をとおして昆虫の脳の仕組みを知り、昆虫が備えている、嗅ぐ、飛ぶ、走る、泳ぐといった人間を超える不思議な機能を取り込んで、高度な知能システムを実現することに挑んでいる。具体化第一弾がこのロボットだ。究極の目的は、人間の脳を知ることにあるのは言うまでもない。

昆虫を知ることで人の脳の仕組みを知る

神﨑亮平 教授 10数年前、生物の機能に学ぶバイオミメティック研究が台頭した。神﨑教授の研究の視点は、一見するとこれと同じように見えるが、単なる生物模倣ではなく、生物の機能を“計測”し、その情報を移し込むことによって生物に近い機械を実現するところが違う。生物学では、たとえば昆虫の機能を遺伝子レベルから徹底的に分析し、構造の解明などに進んでいくこともあるが、ほとんどの場合、分析段階でとどまることが多い。一方の工学は、明らかになっている原理を駆使して統合していくアプローチ。この生物学の持つ分析と工学の統合をリンクすることによって、分析結果をカタチにして検証し、それを再び分析にフィードバックするループが出来上がる。こうしてはじめて研究は完結すると考え、理学部で生物を修めたキャリアを生かし、知能機械情報学という研究の場で生物学と工学を融合した新しい研究領域『生命知能システム』を拓いたのだ。

 「子どものころの夢は医者でした。小さいころは虫が嫌いだったんですよ。それが昆虫と触れ合ううちに美しさに魅せられて。でもね。昆虫を知ることで人(人間の脳)を診ているんです」。その一環として、昆虫が環境にどのように適応するかを探ることにした。でもなぜ昆虫なのか。人間の脳は1000億もの神経細胞があり、その働きをすべて解析するのは至難の業。昆虫の神経細胞は多くて100万個。神経細胞はケタ違いに少ないのに、飛ぶ、走るといった運動能力に加えて、飛びながら虫を捕らえたり、コロニーをつくったりしている。「あの小さな体と脳で、人間に匹敵するほどの複雑な情報処理をしている。研究素材としてこれほど魅力的なものは他にありません」。昆虫の脳解明の手がかりに選んだのが、カイコガである。

 オスのカイコガは、メスのカイコガが出すフェロモンの匂いに必ず反応する。しかも、このフェロモンの化学物質は1種類だけで、合成できるから取り扱いやすい。匂いは塊になっていて、オスの触角が匂いを感知すると、刺激を受けた方向に直進し、匂いがなくなると、ジグザグにターンを繰り返し、最後には回転する。こうした行動パターンを探るために、神﨑教授は神経細胞に針を刺して活動を計測した。解析した神経回路の数は1000個を超え、このデータベースをもとに神経回路を組み立てて人工的な脳を電子技術で製作し、ロボットのコントロールタワーにした。一方、カイコガ(の脳)をそのまま使って、カイコガの実際の動作と同じように動くシステム『昆虫操縦型ロボット』を試作した。この2つのロボットに刺激を与えて動かしてみた。「生きている脳のほうが、人工脳よりも精度の高い、正確な動きができることがわかるんです」。これまでは多分こういう動きが起きているのではないかと推測しながら人工脳を構成するのが主体だったが、生きている脳との比較によって、人工脳の精度を一段と高めることができる。生物と機械の融合という研究目的が鮮明に見えてくる。

情報科学・生物科学・ロボット工学の融合で探る脳のしくみ
情報科学・生物科学・ロボット工学の融合で探る脳のしくみ

カイコガの雌が放出するフェロモンの匂いに反応する雄
カイコガの雌が放出するフェロモンの匂いに反応する雄。 この匂いをたよりに雄は雌を探索する
昆虫操縦型ロボット
昆虫操縦型ロボット。カイコガの歩行による動きがロボットの移動として正確に反映される

情報理工にバーチャル・ブレイン・ネットワークを

 次いで、この『昆虫操縦型ロボット』を使って、カイコガがまっすぐに行こうとすると、ロボットは右に旋回するように設定した。カイコガが匂いのほうに行こうとしても、ロボットは最初のうちは右にクルクル回っているが、30秒もすると、匂いに向かってまっすぐに進むようになる。「昆虫は反射的な行動しかしないと言われていますが、実際には、環境の変化から学習する脳を持っているんです」と神﨑教授。人間の脳よりも少ない神経細胞しかないカイコガでも、環境の変化に対応できることを示している。カイコガの脳を解明できたら、人間の脳を理解するのも可能になるだろう。

神﨑亮平 教授 フェロモンの匂いを変えたらどうなるだろうか。カイコガの遺伝子はほぼわかっているので、フェロモンの匂いを感じるセンサー(遺伝子)を、遺伝子組み換えによって、たとえば麻薬の匂いに反応するものに変えたら、麻薬犬ならぬ「麻薬探知ロボット」が、ガスだったら「ガス検知ロボット」ができる。神﨑教授の研究は、匂いだけでなく、昆虫の飛行メカニズムの解明など多彩だ。レーザー光をマトリックス状に張り巡らせた中を、ガの一種、エビガラスズメ(サツマイモの害虫)を飛ばし、羽の動きや筋肉の活動を高速度撮影装置と超小型テレメーターで捉え、どの筋肉がどういうタイミングで収縮し、弛緩しているかをつかむことに成功している。昆虫の持つ能力を活用して、時速300kmで障害物を回避しながらF1を操縦する人工知能を実現させる夢のような話も、夢だけで終わらないような気がしてくる。これらは神﨑グループの今後の研究で明らかになっていくに違いない。

 神﨑教授が志向する生物と機械を融合するループは、ようやく結ばれたレベルだ。このループをもっと機能するようにするには、他の研究グループとの連携が必要と言う。「研究者が蓄積した多くの情報を放り込んで、研究のプラットフォームになるような“バーチャル・ブレイン・ネットワーク”をつくりたい。それをわが情報理工から始めたい。新しい研究のタネを育んでくれるはずです」。ファーブルが昆虫記を著して100年。昆虫の研究は新時代に向けて確実に、かつ大きく胎動し始めている。

神﨑・高橋研究室

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