交通×情報技術が、移動体験に革命を起こす

伊藤昌毅准教授

profile

伊藤 昌毅(いとう まさき)

東京大学 大学院情報理工学系研究科 ソーシャルICT研究センター 准教授


略歴
2008年 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学、博士(政策・メディア)
東京大学大学院情報理工学系研究科准教授(現職)
専門は交通情報学。地理情報や公共交通にかかわる技術を中心に、ユビキタス・コンピューティングの研究に従事。
ホームページ:
http://www.sict.i.u-tokyo.ac.jp/


古来より、人々の生活は移動とともにある。体ひとつの時代を経て乗り物が生まれ、今やバス、電車、タクシーなどの公共交通機関は世界中を網羅している。さらには目的地までの経路検索、公共交通機関の予約、決済までもがスマートフォンで完結できる時代となった。進化し続けるわれわれの移動体験を支えているのが、さまざまな情報技術だ。伊藤昌毅准教授は交通情報学の専門家として、交通のデジタル化を推進している。これまでに関わってきたプロジェクト、MaaSという新しい移動体験、未来の交通のあり方など、興味深い内容についてじっくりと語っていただいた。
(監修:江崎浩、取材・構成:近代科学社編集チーム)


「人」「車両」「道路」を情報技術でアップデートする

Q.先生の研究内容について簡単にご説明をお願いいたします
伊藤――私は情報系のトレーニングを受けた人間ではありますが、たまたま応用分野として交通の情報化に関わって以来、情報と交通という二つの領域の境界で研究を進めています。究極的な研究目標は、誰もが自由に楽しく移動できる社会の創出です。特定の情報技術をきわめるというよりは、社会システムとして交通を成立させるために必要な技術、コミュニティ、制度など、さまざまなものを作ろうとしています。

Q.交通という分野に興味を持たれたきっかけを教えてください
伊藤――もともと地図情報などに興味があったのですが、前職の鳥取大学時代にたまたまバス情報の検索アプリを開発する機会に恵まれたんです。その際、ITの応用分野として交通の面白さに気付きました。当時はまさに公共交通が大きく変化するタイミングでもありました。長年アナログな仕組みを積み上げてきた公共交通の世界にITが現れ、クラウドコンピューティングの時代が到来したわけです。自分自身がコンピュータ資源を持たなくてはいけなかった時代は過ぎ、オンラインで必要に応じてサービスを受けられるようになりました。交通も同様に、マイカーの時代から社会全体が移動資源を持つ時代に変わっていきます。その変化を支えるのは情報技術だということに、ある日気が付いてしまったんです。

Q.ご自身の専門分野を、興味があった領域にも活かせることがわかったと?
伊藤――そうです。しかも交通は、研究コミュニティと現場が非常に近いという特徴があります。世の中の人たちと関わりながら大学の研究を進められる点を魅力的に感じ、ITの分野から交通に踏み込むようになっていきました。

新しい移動体験の展望

Q.では、現在はどのような研究をされているのでしょうか
伊藤――現在は「人」「車両」「道路」の3つを柱に技術開発、研究を行っています。われわれ人間は、生身では大して動けませんし、道にも迷ってしまう。しかし、車に乗れば遠くに行けるようになります。そのうえ、今では情報技術の発達によりさらに便利に移動できるようになりました。スマホを手にGoogleマップを駆使すれば、もはや道に迷うことはありません。「人」というのは、スマートデバイスでどういうふうに「人」の移動体験をアップデートできるかということなんです。

Q.「車両」「道路」に関してはどのような研究を?
伊藤――「車両」というのは、バスやタクシーなどのいわゆる公共交通をアップデートし、思い通りに移動できる仕組みを作ることです。そして、「道路」というのはいわゆる交通制御という技術です。大勢の人々がさまざまな目的を持って道路を行き交うとなると、渋滞や混雑は避けられません。交通制御によってそこをうまく調整することで、多くの人が効率的に移動できるようになるわけです。

Q. これまでの取り組みについて、具体的に伺ってもよろしいでしょうか
伊藤――まず「人」、つまり移動体験をアップデートするための取り組みからご紹介しますと、地下鉄でもスマホで正確な現在位置を認識できる技術を開発しました。以前は地下鉄までGPSが届かず現在位置を絞り込めなかったのですが、地下鉄には特有の気圧の変化があります。たとえば地下鉄の車両がトンネルに入ると、トンネル内の空気を押しながら走るために気圧が上がるんです。そういった気圧の変化をスマホで測ることで、現在位置がわかるようになりました(図1)。

図1:気圧計を用いた地下鉄位置情報システム
図1 気圧計を用いた地下鉄位置情報システム

Q.その技術の恩恵に預かっている人は多いように思います
伊藤――そうだと嬉しいですが、日本では最近は地下鉄駅にもWi-Fiが設置され、位置情報のビーコンとしても使えるようになってきました。ほかに取り組んでいるのは、MaaSアプリケーションに向けた技術開発です。日本では、多くの人がスマホなどで経路を検索して目的地に向かいます。ただし、電車、バス、タクシーなどに乗るたびに運賃を払う必要があり、サービスとして一貫性がないというのが現状です。対してMaaSとは、スマホ1台でさまざまな交通を利用してシームレスに目的地まで移動でき、検索から運賃の支払いまで一貫したサービスを提供することと定義されています。

Q.利用者にとって、まったく新しい移動体験ということでしょうか?
伊藤――その通りです。MaaSがもたらすのは、クラウドコンピューティングと同じこと、つまり、移動リソースを社会全体で共有する仕組みです。もちろん、自分の車が1台あれば自由自在に移動はできます。しかし社会には、バスやタクシー、さらには旅館の送迎車など、さまざまな車があるはずです。これらをダイナミックに組み合わせることにより、一人一人の移動需要を満たせるような仕組みを作ることがMaaSの肝になる部分だと考えています。

Q.他にもMaaSに関する取り組みはありますか?
伊藤――特に力を入れているのが、バス情報のデータ化です。以前はバス情報をGoogleやNAVITIMEで検索するのはかなり大変で、人口が少ない地域の情報はほぼどこにも載っていませんでした。そこで全国のバス会社や自治体に働きかけてバス情報のデータを作ってもらい、それをオープンデータとして公開したんです(図2)。その情報がGoogleマップに反映されると、手元のアプリで自由に検索できるようになるわけです。

図2:バス情報のオープンデータ整備
図2 バス情報のオープンデータ整備

Q.経路検索が普及した次に、新たな情報技術が求められたということでしょうか
伊藤――そうです。そして、バスをより便利なものにするためには路線や時刻表を最適化する必要があります。これは交通計画といわれる分野で、地域に合った交通計画についての話し合いを全国各地で進めています。あとは「道路」に関する取り組みとして、いわゆる人工知能を使った信号機のシステムを開発しているところです。

Q. 人工知能を使うことになった理由はなんでしょう?
伊藤――自動車の認識、信号制御ロジックがそれぞれ人工知能と言えると思います。開発した信号機では、カメラによる画像認識で通行する車を認識しながら、赤信号、青信号を最適なタイミングで切り替えていきます。このような仕組みが実現すれば、移動がより効率的になります。たとえば車に乗っているとき、道路が空いているのに信号で待たされることがありますよね。車に乗っている人は納得がいかないでしょうし、大きく捉えれば社会的損失にも繋がります。そういった事態を回避するためにも、こういった交通制御が必要なんです。

現場と直接関わるからこそ見えること

研究対象を交通にする、それは公共交通機関や各種運送会社との関わりが必須になる。これまでの活動を通し、企業や業界の反応はどう変化していったのか?

Q.これまで交通に関わってこられた中で、特に印象深いことはありますか?
伊藤――交通を自由自在に使えることはもちろん普段の生活を便利で豊かにしますが、災害時の交通もとても重要な課題です。災害が起きると道路や線路などが損傷し、電車やバスは時刻表通りに動けません。そういうときこそスマホで正しい情報を確認したいのに、残念ながらままならないのが現状です。2018年に西日本豪雨が起きた直後に、広島県内の研究者や広島県庁、交通事業者などとこの問題に取り組みました。広島では水害が起きてJRが寸断されたため、全国のバス会社が協力して代行輸送を行いました。この時は、インターネット上の断片的な情報をリンクさせる、という所までしか出来ませんでした。その後2021年夏にも同様の災害があったのですが、今回は地元の人材や協力体制が整っていたため、Googleマップで代行輸送の情報を検索できるところまで持っていけたのは感慨深かったです。

Q.バスは生活に密着している分、社会的なニーズも大きいのでしょうか
伊藤――そう思います。先ほど申し上げたバス情報のデータ化も、5年以上取り組んでいます。文字通り全国を歩き回り、最初は1つか2つしかなかったところから今では400以上ものバス会社がデータを提供してくださっています。これだけの情報が集まったのは、もちろん私1人でやり遂げたことではなく、バス会社や行政の方が自分の課題として取り組み、技術を身に付けて周囲にも広めてくださったおかげです。

Q. バス会社は全国に数多くありますが、遠隔ではなく直接交流されたのですね
伊藤――はい。全国さまざまな地域に講演や講習のために呼んで頂きました。各地で路線バスに乗ったり、バス会社のお悩み相談に乗ったのはいい思い出です(笑)。その中で気付いたのは、バス会社や自治体には責任感が強く、新しい取り組みを模索しながら地域のインフラを支えている方がたくさんいらっしゃるということです(図3、図4)。日々勉強しながら、地域を支えようと努力されている方が全国にいらっしゃいます。

図3:産官学の地域交通の関係者を交えた打ち合わせ
図3 産官学の地域交通の関係者を交えた打ち合わせ

図4:自治体や地域の交通事業者とデータを見ながら議論
図4 自治体や地域の交通事業者とデータを見ながら議論

Q. 現地の方と直接話し合うことで初めてわかることがある?
伊藤――はい。そういう方は新しい情報に対して非常に積極的で、バス情報のデータ化を前向きに検討してくださいます。われわれがデータを作るためのツールを提供すると「これを使えば、うちのバス事業はすべてデジタル化できるのでは」と一種の化学反応が起こります。そういう方が一人いらっしゃると、周囲の方にも化学反応が連鎖していく。これは、実際に現場の方々と関わってみて初めてわかったことでした。

Q. 現場とも密接に関わりながら研究を進めるのは大変かと思いますが、その原動力は?
伊藤――社会や人との関わりの中で考えを深めるのは、自分のスタイルに合っていたのだと思います。実は、道路運送法などを勉強して運行管理者という資格も取りました。この資格を持っている人がいないと、バス会社が運営できないというものです。さすがに2種免許までは取っていませんが、一応バス会社の社員にはなれます(笑)。

Q.交通が好きということも原動力の一部ではないでしょうか
伊藤――そうかもしれません。あと、私はきっと日本社会に対する期待値が高いんです。純粋に研究を突き詰めるなら日本よりも海外の方がいいと言う人もいますし、確かにそういう面もあると思います。ただ、私は日本に生まれ、日本社会の恩恵を受けてここまで育ってきました。その一方で、日本には技術があってそれを生み出せる人もいるのに、社会に広がっていかないという悔しさも感じています。特に「IT敗戦」などという言葉が生まれてしまう現状には、情報技術に関わる者として忸怩たる思いがあります。

Q.現状から、どのようなことを懸念されていますか?
伊藤――公共交通というのは、世界的に見てもこれからデジタル化が進む領域です。まだまだチャンスがある反面、ITへの対応を失敗すると、日本の交通に関わる産業全体に大きな影響が広がります。移動に関わるすべての産業はある意味つながっていますから、基幹産業である自動車産業まで影響を受けてしまうと日本は立ち行かなくなる可能性まであります。日本社会にはまだまだ伸びしろがあるはずですし、研究者としてできる限り貢献したいと考えています。

行政でも民間でもない、大学ならではの役割

Q.公共交通機関は行政の力が働いてきますね。その影響、関わり方についてどうお考えですか
伊藤――国土交通省は5年ごとに交通政策基本計画を作っていて、今年度(2021年度)からの政策を取りまとめる委員会には私も加えていただきました。私はITの専門家として情報技術やデータの活用を提言し、交通政策にもそういった内容を盛り込んでいただきました。これは交通のデジタル化において大きな一歩だと思いますし、今後に期待しています。ただ、行政のあり方には一考の余地があると感じます。交通という分野は専門的な知識が必要なので、それこそ今回のように、専門家が委員会に入って行政に直接提言するということがずっと行われてきました。しかしそれだけでは、広く市民の声を集めることは出来ません。直接の利害関係者であり、利用者である市民の声に広く耳を傾けることと、専門的な知識を活かしながら計画を立てることを両立させ、誰もが納得出来る意志決定を行うことは、まだ解決されていない問題だと感じています。

Q.行政と専門家との関係性、バランスを模索する必要があると
伊藤――私の周りには、Code for Japanなどのシビックテック的な取り組みをしている人が大勢います。彼らはITを活かしながら行政よりもフットワーク軽く人々の要望を聞き、自らコーディングまでして社会に対するソリューションを作ろうとしている。デジタル庁などでは、そういうアグレッシブな動きが伝統的な行政の仕組みを変えつつあると思います。交通行政においても、専門家が作った計画を一方的に行き渡らせるだけでなく、ITの時代にふさわしい制度をいかに体系化するかというのが、今後突き詰めるべき課題になるでしょうね。

Q.行政との関わりの中で、法律の問題はありますか
伊藤――私が直面するレベルでは今のところありません。ただ法律というより、日本社会には行政が強く、民間はそれに従うという構図が見え隠れします。何か大事なことがあると行政任せにしてしまうというか、能力的に劣っているわけでもないのに民間の人たちが萎縮しているような印象を受けます。特に許認可事業である交通の世界では、行政に対して物申すなんて考えられないという風潮があります。

Q.トップダウンの意識が根付いてしまっているのでしょうか
伊藤――民間の側は、自分たちでルールを作ったり変えようというマインドが乏しいですが、行政の側も民間のさまざまな事情を加味した上で判断できているわけではありません。民間企業と行政官の付き合い方にはさまざまな制約があり、相当努力しないと情報が全然入ってこなくなってしまうのです。大学はニュートラルな立場で行政とも民間とも関われるので、ある程度自由に双方の本音を聞くことが出来る。そのため、善し悪しはともかく、これまでも規制産業の潤滑油として機能してきた側面があります。

Q.大学だからこそ果たせる役割がある、ということですね
伊藤――そうですね。ただ、これからの社会の発展の担い手は、伝統的な官や民だけではありません。さまざまな領域で、ITエンジニアが自由にものを作り、発想を具現化していくことが社会の原動力になっています。その原動力を交通という領域につなげるのが私の役割だと思いますし、これからも試行錯誤を重ねていきたいと考えています。

情報技術が支える未来の移動体験

全国を回り交通について積極的に携わってきた伊藤准教授だからこそ見えてくる、日本国内の交通業界の未来、そして情報社会のあり方とは?

Q.日本では、交通のデジタル化はどの程度進んでいるのでしょうか
伊藤――2004年頃までは相当進んでいたと思います。1960年には世界に先駆けて、当時の国鉄の指定席の予約・発券システムであるMARS(マルス)の運用が開始されました。1960年代後半には自動改札機が登場し、新幹線や信号機はすべてコンピュータで制御され、2000年代にはSuicaが普及するなど、かなり高度なシステムが交通分野に導入されています。また、携帯電話を使ってチケットを購入したり、終電の検索をしたりと、iモードがスタートした頃から携帯電話と公共交通の融合が起きていました。

Q.停滞してしまった原因についてはどうお考えですか?
伊藤――技術開発の主導権が交通事業者からIT企業に移ったというのもありますし、交通インフラそのものが成熟して、日本では新しく投資する対象と思われなくなりました。公共交通においても、新幹線や大都市は好調な一方、地域の公共交通はマイカーに役割を奪われ、路線の維持もままなりません。そうなると、もはやデジタル化どころではありません。一方で世界では、モータリゼーションへの反省から公共交通を重視したまちづくりが見直され、その延長としてMaaSのようにITによって交通を「どう進化させるか」という議論が進んでいます。もちろん日本にも前向きな姿勢でデジタル化に取り組んでいる方はいらっしゃいますが、公共交通というある意味滅びゆく産業をITの力で「いかに延命させるか」という発想の方も多い気はします。

Q.今後、交通はどのように変わっていくのでしょうか
伊藤――スマートフォンが普及し、われわれの生活は大きく変わりました。外出先で「あの曲のタイトルは何だっけ」とか「日本で2番目に高い山って何だっけ」と思ったときに、今はその場で検索ができますし、何か食べたくなったら、UberEatsのアプリを操作すればパッと料理が届きます。そうやってスマートフォンに慣らされたわれわれが納得できる移動体験とは、「埼玉に行きたい」と思った瞬間にすべての移動が手配され、目の前まで迎えに来てもらえるような世界のはずです。究極的にはそういうオーダーメイドされた移動体験こそがめざすべき姿で、その構成要素として自動運転などがあるような時代が来ると考えています。

Q.自動運転は交通にどのような影響をもたらすと考えられますか?
伊藤――私は自動運転の研究には直接関わっていませんが、自動運転の進歩により交通のコスト構造が変わります。たとえば今バスを走らせる費用のかなりの割合が人件費に割かれています。そのため、2~3人しか乗らないような車を1人が運転して走らせるのは無駄ではないかという議論が起こります。自動運転は、そのコスト構造に一石を投じると思います。

伊藤昌毅准教授※コロナ対策により、インタビュー中はマスク着用としております
※コロナ対策により、インタビュー中はマスク着用としております

交通が変わっていくために

Q. では、そうした未来の到来に対する課題とはなんでしょう?
伊藤――よく言われるのは、派生需要という言葉です。要は、人々は電車に乗りたくて電車に乗っているわけではなくて、目的地に行きたいからたまたま電車に乗っているだけということですね。もちろん電車に乗りたいから電車に乗るというお客さんを増やすことも大事ですが、やはり主流は派生需要でしょう。そう考えると、今後は移動先との連携が重要になってくるのではないかと思います。移動先が駐車場を作ったものの、バスで来るお客さんのことはあまり考えていないというようなことはよくあるんです。こういった社会の意識をいかに変えていくかは今後の課題ですし、解決のためにできることをやっていきたいです。

Q. 冒頭で、情報技術が変化を支えるというお話がありましたが、それが解決の糸口でしょうか?
伊藤――情報技術によってさまざまなことが根本的に変わることは間違いないと思います。ただ、情報理工学系研究科の研究者として意識したいのは、われわれはまだ情報技術が作り出す社会の入口に立っているに過ぎないということです。おそらくデジタルネイティブと呼ばれる世代ですら真のデジタルネイティブではなく、アナログの上に表面的に作られたデジタルネイティブに過ぎません。情報技術が本当の意味で社会に浸透するには、これからまだ何世代もかかると思います。

Q. 何世代もかけて徐々に変わっていくしかない?
伊藤――たとえば今回のテーマである交通でも、情報技術はアナログで構築された仕組みの表面に継ぎ足す程度しか入ってきていません。MaaSに関する技術も、今はそれくらいに留まっているのが社会の実態です。今回、コロナによって急激に情勢が変わり、移動かZoomかという二者択一を迫られる時代を迎えましたよね。社会はZoomにまでは対応しましたが、テレプレゼンスとか、メタバースのような技術はまだ研究段階で、移動と非移動の間にある広大な可能性については未開拓です。

Q.今後にかけて情報技術が浸透すると、移動体験はどのように変化するのでしょうか
伊藤――人が移動したいのは、突き詰めれば楽しい世界が外にあるからです。今は遊びに行くとなると観光地などに行くと思いますが、情報技術が進歩して普及すれば「楽しい世界」のありか自体が変わってきます。たとえば初音ミクというバーチャルな存在は、現実世界には生まれた場所がありません。しかし、そういったデジタルのものが作り出す場所を、実在する場所と同じように扱って、それぞれ「移動」出来るようになってもいいのです。

Q.「場所」というもの自体の捉え方が大きく変わるということでしょうか
伊藤――そうですね。近年では、現実世界を仮想空間に再現するデジタルツインという考え方が広まりつつあります。バーチャルリアリティーと混同されがちですが、現実世界のあらゆるものに仮想空間が付随していて、情報としてもアクセスできるということです。そうなると、私達の移動体験は大きく変わってきます。現実の空間を移動するのと同時に、同じだけのデジタルデータともすれ違っているのです。それならば、記念写真を撮るように記念メタデータ収集をしたっていいわけです。

Q.いつ頃に実現可能とお考えでしょう
伊藤――世界がそこまで変わるのはまだまだ先で、数十年どころか100年以上先かもしれません。今はまだ人がようやく情報技術を受け入れ始めたところですから、この先どうなるかは本当に未知数です。ただ、息の長い仕事であることは間違いないですし、こんなに変化の激しい領域はそうそう出てこないと思うので、楽しみながらやっていきたいですね。

「交通」は人と人をつなぐキーワードである

交通に関して研究を進めてこられた伊藤准教授ならではの教育方針、そして学生に期待することとは?

Q.交通の分野において、どのような人材が育ってほしいですか?
伊藤――私は、交通というのはさまざまな分野の専門知識を持つ人々をつなげるキーワードだと考えています。人生のどこかで鉄道やバスが好きだったという人は意外と多くて、法学部や医学部にもそういう過去がある人はいるはず。交通の研究自体、工学としてやる人もいれば経済学としてやる人もいるくらい、さまざまな領域と接しています。非常に裾野の広い分野なので、専門分野という縦軸を持ちながら、交通という横軸も共有しているような人材がどんどん育っていってほしいと思っています。

Q.エキスパートを育成する上での、先生の教育方針は
伊藤――やはり自分で考えて自分で作ることと、ちゃんとデータを向き合って手を動かすことが大事だと考えています。特に情報技術では、プログラミングをしたりデータに触ったりして、その手触り感を持っているかどうかが大きい。そういう思いもあり、学生と一緒に積極的にアプリ開発やデータ分析をしています(図5)。

Q.知識の習得だけでなく実践が重要であるということですね
伊藤――あとは、論文を書くだけでなく社会に出せるものを作ることに重きを置いています。原理原則が確立した段階で論文を書くことはできますが、それを組み込んだアプリやシステムを開発してみると、想像していなかったところで問題が発生してしまうことがあります。そのため、学生と一緒にアプリ開発まで行い、技術をより深掘りしたりもします。問題を解決するために試行錯誤したり、新しい技術を身につけたりする時間を大事にしたいと思っています。

図5:伊藤研究室の様子
図5 伊藤研究室の様子

Q.学生さんには壁にぶつかってほしいとも言えますが
伊藤――そうですね。試行錯誤していると、頭の中にいろいろなことが浮かんできますから。その中には論文になるようなひらめきもあれば、エンジニア向けのドキュメントになるようなものもあるし、ひょっとしたらYouTube向けの内容もあるかもしれません。技術のそういう泥臭い部分を好きになってもらえるように、学生を刺激しているところはあります。

Q. YouTuberとして成功する学生も出てくるかもしれません
伊藤――そうなったら面白いですね。実際、学生と一緒にYouTubeでライブ配信をしたこともあります。信号機が大好きな学生がいたので、私が聞き役になって信号に関する小話をひたすら語ってもらいました。そういう寄り道もしながらやっているので、研究者として採用していただけたのは本当にありがたいことです(笑)。

Q.では、先生の研究室に入るメリットはなんでしょう?
伊藤――先ほど申し上げた通り、人生のどこかで交通に興味を持ったことがある人はたくさんいるはずです。また、さまざまな分野で交通が関わる研究をしている方がいらっしゃると思います。研究室の使い道というのは多様なので、本腰を入れてITと交通を学んでもいいですし、たとえばAIや経済、法律の研究をしている人にも出入りしてもらって、応用分野として交通に手を出すのも全然ありです。いろいろなバックグラウンドがある人たちが交通というキーワードでつながることがメリットではないかな。そういう人たちと楽しく研究していきたいですね。
(取材日:2021年9月29日)

キーワード

1 クラウドコンピューティング:インターネットなどを介し、コンピューター資源をサービスとして提供する仕組み。「クラウド」と略されることも多い。

2 MaaS:Mobitily as a Serviceの略。あらゆる公共交通機関を統合することでシームレスな移動を可能にするという新しい概念。国土交通省は「都市と地方、高齢者・障がい者を含む全ての地域、全ての人が新たなモビリティサービスを利用できる仕組み」と定義している。詳しくはこちら

3 オープンデータ:ルールの範囲内で自由に複製・加工・頒布などの二次利用ができるデータ。

4 Code for Japan:2013年設立の一般社団法人。行政機関を対象とした研修活動や、シビックテックの推進を行っている。詳しくはこちら

5 シビックテック:Civic(市民)とTech(テクノロジー)を合わせた造語。市民がテクノロジーを活用し、地域課題などの社会問題を解決しようとする取り組み。

6 デジタルネイティブ:インターネットやパソコンが普及した環境で育った世代。定義はさまざまだが、1980年前後以降に生まれた世代を指すことが多い。

7 メタバース:コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された現実世界とは異なる3次元の仮想空間やそのサービスのこと。日本おいてはVRを活用した商業的な空間が主にそう呼ばれる。

8 初音ミク:クリプトン・フューチャー・メディアが販売するDTM用のソフトウェア音源、あるいは同商品のイメージキャラクターであるバーチャルアイドル。

9 デジタルツイン:仮想空間に現実世界の環境を再現し、シミュレーションを行う技術。製造業や都市開発など、幅広い分野での活用が始まっている。

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