濱田総長、「情報に対する権利」と題して講演
―情報処理学会創立50周年記念全国大会―
情報の重要な機能を考慮し、権利の自覚化を

 濱田純一総長は、情報処理学会創立50周年記念全国大会(3月9日、本郷キャンパスで開催)で「情報に対する権利」と題して講演した。この中で「現代の情報化社会では、情報についての無意識的な発信や受け取りではなく、情報の重要な機能を考慮しながら情報に対する権利を自覚化することが必要」などと述べ、情報に対する権利が目指している価値、自由と国家との関係、調整にどのように役立つのかを考えていくことが重要と強調した。

 「情報に対する権利」とは何をイメージしているかという点について、濱田総長は、情報を受け取る権利、受け取らない権利、選択する権利や、情報を提供する権利(発信する側の権利である「表現の自由」とも重なる)と、提供しない権利(プライバシーの権利にもかかわる)とともに、情報が社会で流通するような情報通信環境などについて触れた。このような広い範囲の権利を権利として考える必要があるのは、従来の権利保障の概念だけでは言い尽くせなくなったことを理由として挙げた。

 たとえば、「表現の自由」として次の3点を指摘した。さまざまな意見や情報が自由に行き交うことによって、真理を見いだすことができ、人も外部から情報を受け取ることで成長が可能になり、民主主義が生まれてくる。このほかに、自由な表現が日常的に許されることによって不平・不満を抑えられる社会の安全弁となり、社会全体のレジリエンスが生み出されていくという、多面的な効能を持っているとした。言い換えれば、情報に対する権利は、その効能として人々の生活を豊かにし、経済的な活動を含めて本質的な意味を持つことを強調した。

 情報に対する権利を実現するうえで、国家がかかわらない部分と積極的にかかわって情報の流れを保障していく両面がある。国家が情報の流れの領域にかかわるのは大変難しい問題を抱えることになり、必要以上の介入を行う危険性があるが、国家の積極的な役割を認める際には、自由との緊張関係をどのように処理するかが大切になってくる。私たちが「知る権利」については情報公開制度があるが、一方で、「情報を提供しない権利」については、統一的なルール、十分な担保措置を備えた個人情報保護制度によって、個人情報を守ることが必要としている。

 放送というメディアを利用して表現の自由を行使しようとする場合、「だれでも自由にできるはず」という話にはならないわけで、一定の秩序が必要になる。情報に対する権利の実現に国家が関与するときには、自由を損なわずに、国家による一定の関与を認めながら権利の保障をいかに実現していくかが大きな課題とした。

 自由と国家の関与について折り合いをつけるポイントの一つは、インターネットによる自由の確保を挙げた。米国での例を引き合いにし、「インターネットは新しい思想の自由市場」、「これまで発展を支えてきたマス・スピーチの中で最も参加型の形態で、政府の関与に対して最大限の保護に値する」と述べ、こうした世界を確保することが一つの基本となるとした。そこが自由の領域として確保されるべきとするなら、多くの人が自由を享受できる環境を実現するのは、私たちの宿題であり、情報をめぐる研究開発を通じて私たちがネット上で実現できる自由というものをどれほど拡大できるかが問われることになる。また、私たちの情報に関わる自由な環境を確保するうえで、国家そのものが関わるのではなく、中立的な活動を行う第三者的なNGOやNPOの存在も見逃せないとした。

 こうしたさまざまな論点をもとに、濱田総長は、①情報に対する権利を自覚化することが必要としたうえで、②この実現のために、自由な環境というものと、国家の一定の関与による制度的な仕組みの両方の組み合わせが重要、③その際、自由な情報流通の基盤を確保するとともに、制度的な仕組みについては、国家組織の中でも一定の独立性を担保した仕組み、あるいは、国家とは異なる公的な仕組みなどを構想することが重要と締めくくった。

ISTyくん