脳の情報処理の仕組みを数理的手法で解明
数理情報学専攻 増田直紀 講師

ニューロンの多様な活動を読み解く
運動記憶の機構を理論的に追究

増田直紀 講師 脳の仕組みを読み解く「脳の理論」研究と「複雑ネットワーク」の研究――この2つの研究領域は関連がなさそうに見えるが、実は深いつながりがあり、この共通点が私たちの現実の世界と大きな関わりを持っているという。その解に迫っているのが、数理情報学専攻の増田講師。脳は複数の神経細胞・ニューロンの相互作用から成り、きわめて複雑なネットワークを形成している。一方、人間が社会行動を起こす源は脳であり、脳を通して外からの刺激や自分で学習したり記憶したりして持っている規範などと照らし合わせることによって、人は行動する。脳や社会行動はいずれも複雑ネットワークの好例なのだ。脳とネットワークの研究から、増田講師が導き出そうとしているものは何だろうか。

実験を見据えてナゾの領域を明らかに

 日本で脳科学が理学、工学、医学などの伝統的な科学分野を超えた融合研究領域として発展し始めたのは1970年ごろから。米国では1990年からの10年を「脳の10年」と位置づけて研究を推進した。日本も1990年代後半に脳科学の大型基礎研究に着手し、「脳を知る」、「脳を守る」、「脳を創る」、「脳を育む」というように、いろいろなフェーズごとに研究を推進している。このように脳の研究が進展したのは、脳を解剖したり、動物の脳に電極を刺して情報を捉えたりしてきた、100年以上にわたる“実験研究”の蓄積によるものである。増田講師は数理的手法を武器に、つまり、数理モデルを使って模擬的に脳の活動を調べることを主眼にしている。脳が行っている情報処理の基本メカニズムを理論的に解明し、実験研究と連携することで脳の中身をさらに詳細に明らかにしようとしているのだ。

フィードフォワード構造
神経細胞のネットワークは、図のようなフィードフォワード構造を持つと近似的に見なせる場合がある

 脳内では、ニューロンの活動が情報を表現する役割を担っている。あるニューロンの集団がリンゴを見たら興奮(発火)するのに、ミカンを見ても興奮しないのはなぜかという問題。脳内で何が変化することによって新しい物事を記憶できるのかという問題。これらは、実験だけでなく、理論が大きな力を発揮する問題例である。外界の情報や以前に記憶した情報が脳内でどのように処理されているのかという基幹的な事柄も、まだ十分にはわかっていないのである。わかっていないことが多い脳に対し、増田講師は、脳のコードを念頭に置きながら、同期発火や時間的に振動する発火などの現象、ニューロン同士の結びつきが学習を通じてかたちを変化させていく現象、ニューロンの結びつきによる学習と運動記憶の関係などについて理論研究を行っている。ニューロンの生物的な特性も適度に考慮したモデル設計を行うことによって、実験の予測やデザインに生かせるモデリングに注力している。「脳の本質に迫るには、実験家と理論家が連携し、協力しないとできません。私個人も、そうした取り組みを始めているところです」

複雑ネットワーク研究がもたらすもの

 「ネットワークって、“複数の点”が結びついたものですね。インターネットは複数のコンピューターが、人間社会なら誰と誰が友だちか、誰と誰が取引しているかといった姿。複雑というのは、現実のネットワークがそうであるということです」。脳はまさにニューロンを介した複雑ネットワークの代表であり、ネットワーク研究と脳の研究がここでリンクする。

スケールフリー・ネットワーク
スケールフリー・ネットワーク
ハブ (緑色) に結合が集まっている

 友人の数が人ごとに20人、30人、1000人などとかなり異なるネットワーク(スケールフリー・ネットワーク)を考えてみよう。このネットワークを使って「あいつは株で結構儲けたらしい」という噂がどのように広がるかをシミュレーションや理論で解析すると、みなが同程度の数の友人を持っているネットワークよりも、スケールフリー・ネットワークのほうが情報は伝播しやすい。つまり、伝わる人数は多く、伝わる速度も大きい。「マーケティングや流行の調査、人脈づくり、電子商取引、感染症対策として活用できますし、場合によっては、国の政策を浸透させることにも利用できそう」と増田講師。

 企業が商品をインターネットで売るにしても、口コミで売るにしても、買う側の心理、動向を探るのに、複雑ネットワークは有力なツールになり得るのだ。貧富の差はなぜ拡大するか、なぜ戦争は起きるか、どうしたら状況をよくすることができるかといったことにも、将来は応用できる可能性がある。このために、ネットワーク上の情報伝播、ゲーム理論、ニューラル・ネットワークなどについての理論的研究を進めている。

増田直紀 講師 増田講師は、理論家ではあるが、理論を構築することだけにこだわってはいない。実社会への応用を常に視野に入れている。脳の実験家とのコンタクトをより強く求めようとしているのも、複雑ネットワークの応用を目指しているのも、「議論の中だけに閉じてしまいたくない」という思いがあるからだ。

 脳は世界の多数の研究者が先陣争いを繰り広げている研究領域で、連日のように優れた論文が登場するほど、研究環境は熱い。論文の質量が激しく交叉するこの分野の若手研究者にとって、日々の努力以外でカギになるのは、いかにアップトゥーデートの情報をすばやくキャッチできるかにかかっている。「それは論文を多く読み、世界の研究者と直接交流すること」と言う。実験の最先端が日進月歩である中で、自らの研究の方向性が妥当なのか、あるいは枝葉に走っているのかを確かめることは大切である。もうひとつは英語力。「言葉の通じない研究者との烙印を押されたら、圧倒的に不利になります」。英語で書く、発表する、楽しむ、怒るといったことを一人前にできるようになったら――それに近づくよう研鑚を、とエールを送る。


統計情報学研究室

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