安全性高いソフトウェアの構築に挑む
コンピュータ科学専攻 米澤 明憲教授

電子投票など次世代社会基盤システムも視野に
“並列・分散処理”を拓いたパイオニアの一人

米澤 明憲教授

 コンピュータ科学専攻の米澤教授は、「並列」、「分散」をキーワードに、新しいソフトウェアシステムの基礎理論研究と実践を推進したパイオニアである。30年以上も前に、複数のCPUを同時に利用する、並列・分散処理用に『並列オブジェクト』に基づく計算モデルとプログラミング言語を打ち出し、さらに、インターネット環境下で自立的にネットワークの中を動き回る『モバイルオブジェクト』という先駆的な概念を提唱した。言い換えれば、並列・スーパーコンピューターとインターネットの利用を促進する扉を開いた研究者の一人である。現在の研究の中心は、悪意のあるユーザーの攻撃から守り、コンピューターウイルスに犯されにくく、かつ意図したとおりに正しく動く、『安全性の高いソフトウェア』の構築にある。その業績をたどると、ソフトウェア研究に賭けた人生であることが浮き彫りになる。

すべては、東大での学科選択とMIT留学から始まった

 中学、高校時代から、日本語や英語などの自然言語、小説や詩を表現する“言語・言葉”に興味を抱いていた。東大の1年生のとき、N. チョムスキーの著書「Syntactic Structures」を読んで衝撃を受けた。教養から専門学科を選択する際、南雲仁一先生からエレクトロニクスと数学を勧められたが、「エレクトロニクスは苦手だった」ため、比較的数学に近い計数工学数理コースを選ぶ。数学は言語に通じ、中でも、計算機の動かし方を記述するプログラミング言語の魅力に惹かれる。自分の考えが実際に動作するソフトウェアの形で実現する喜びを味わえると思ったからだ。

 1973年、東大の博士課程の初めのころ、AI(人工知能)とプログラミング言語研究のために米国MITの計算機科学大学院の門をたたく。このMIT留学が米澤教授の研究人生を決定づける。MITでは古いAI研究が一段落し、高度なAI研究が話題に上っていたが、コンピューターソフトウェアや計算モデルの研究に軸足を置く。「10年先にはコンピューターが安くなり、それらを大量につないで使う時代がくる。そこでは、いかに上手に使いこなすか、その方法論が必要になる」という読みがあった。

米澤 明憲教授

 米国では当時、インターネットの源流となる国防用のコンピューターネットワーク(ARPAネット)が動き始め、大学、研究所間にも広がる兆しが見えていた。多くのコンピューターを並列につないで仕事をさせるときに、全体を上手に動かすことを適切に表現できる言語が必要で、その言語にあいまいさがあってはいけない。米澤教授は、厳密な意味論(意味づけ)の確立を目指し、複数の計算機上に、その台数よりずっと多くの並列性を簡単に表現・抽出できる、「並列オブジェクト」と呼ぶ計算機能の単体を、大学院のアドバイザーと共同で見いだす。これにより、並列・分散計算を並列計算機で統一的かつ高速に動作させることに成功したのだ。

 この並列オブジェクトの研究は、数千のCPUを持つ大規模なスーパーコンピューターや大規模な分散環境(主としてインターネット)下で動作するプログラミング言語の基礎となり、1980年代から90年代にかけて、並列オブジェクトに基づく言語ABCLを独自に設計し、超並列計算機上で動く応用プログラムの開発成果などを集大成して『並列オブジェクト指向計算』を確立した。これらは科学技術計算、自然言語処理、遺伝子アルゴリズムなどに適用されている。


並列オブジェクトの集まりで、いろいろな計算や現象をモデル化して記述し、かつ計算機でシミュレーションする様子
並列オブジェクトの集まりで、いろいろな計算や現象をモデル化して記述し、
かつ計算機でシミュレーションする様子

 また、モバイルオブジェクトも見逃せない、息の長い研究である。ネットから音楽などをダウンロードすることが多いが、このソフトウェア1個がオブジェクトで、それ自体が自立的にネットワーク内を動き回るのが特徴だ。新しいアンチウイルスソフトウェアを担いでいって、ネットワークにつながるコンピューターにインストールしていく、動くインストーラーをモバイルオブジェクトとして実現したこともある。

研究科の活性化策は“学生の研究科内出向”

 米澤教授が力を入れているのはもう1つ、ソフトウェアの信頼性の向上である。情報化が進展するにつれて、コンピューターウイルスや不正アクセス、情報漏えいが社会を脅かしている。その原因の1つは、基盤ソフトウェアを記述するのに使われているC言語の弱さにある。ここにメスを入れ、安全性の高いC言語コンパイラの開発などを進めている。

 このソフトウェア・セキュリティーに関して、2000年から4年かけて、東大、東工大、慶応大など6つの大学が研究グループを組んで実施した文部科学省の科研費特定研究「安全な社会基盤としてのセキュアコンピューティングの実現方式の研究」がある。米澤教授が代表として推進したこの研究は、過去に実施された科研費研究の中で、社会的貢献の最も高い5つの研究の1つに挙げられている。ここで見いだされた型理論などのテクニックは、メールシステムの安全性確保やC言語コンパイラ開発に応用されているが、電子申告や電子投票など新しい社会基盤Web系ソフトウェアシステムを構築する際の中核技術の1つともなる。社会基盤となれば、信頼性の確保は不可欠。そこで米澤教授は、安全な社会基盤Webシステムを構築する研究開発プロジェクトの立ち上げを検討している。

 「レベルの高い研究を目指せ」―。若い研究者に向けた米澤教授のメッセージである。国際的に通用する研究であっても、一段と質の高い、影響力の大きい研究を行うことを求めている。それには海外の研究に肌で触れ、海外で議論する場に積極的に参加することを奨励する。MITで世界を知ったことが新しい概念を打ち出す結果になった自らの歩いた道をイメージしながら、若い研究者に贈る言葉である。情報理工の研究科自体をもっと活性化させる妙案はと聞くと、学生同士の交流を頻繁に行うことと説く。「研究科内出向、あるいは研究室間留学」―米澤流の視点である。

ISTyくん