構造物の世界と数理工学の世界を橋渡し
数理情報学専攻 寒野 善博(かんの・よしひろ)講師

『数理的応用力学』で物理現象を多角的に捉える
構造物の最適設計や新しい設計法の構築に生かす

寒野 善博講師

 お椀にサランラップなどの薄くて柔らかい膜を張ってモノを乗せたら、膜にシワができる。お椀の上に固い下敷きを乗せてモノを置いた場合は、シワはできない。薄い膜や下敷きの上にモノを乗せたときに生じる物理現象を計算で求めようとすると、薄い膜のほうがむずかしいという。シワのできる位置や方向があらかじめ予測できないため、最悪の場合は答えが見つからないことも考えられるからだ。

 数理情報学専攻の寒野講師は、こうした特殊な“接触問題”などを解くのに、数学を道具にして解決の糸口を見いだそうとしている。その手段として、構造物の世界と数理工学の世界を『数理的応用力学』という視点で切ることを試みている。「それによって、いままで見えなかった世界が見えるようになったら、新しい何かが起きるかもしれない。ワクワクしてきますね」。

都合の悪い条件を隠すテクニック

 寒野講師によると、「従来の力学では、物理現象を支配している条件、先の薄い膜の例では、シワができる、できないを場合分けしながらでないと計算を先に進められなかった。だから、膜の場合はむずかしく、場合分けが必要でない下敷きの場合はやさしかった。でも、新しい手法を使うと、膜の場合でも簡単に解くことができます」。つまり、上手に数式を書くことによって、場合分けをいったん隠してしまうテクニックを見つけたのだ。隠すという手法自体は、数理の世界では目新しいものではないのだが、この手法が古典的な理論と新しい学問の橋渡し役として使えることを発見した。しかし、その隠し方は、だれでもができるわけではない。寒野講師しかできないオリジナルなのだ。

 実際にどのようなことに応用できるのか―。隣り合って建っている長屋がある。地震の揺れで倒れる前に隣の家とぶつかるかもしれない。その挙動を解析しようとすると、まずぶつかるか、ぶつからないかに分ける。ぶつかると仮定してぶつからなかったら、もう1回、仮定をやり直し、試行錯誤しながら解析して答えを探す。それを数式によって場合分けを隠すテクニックを使うと、試行錯誤なしに解析できるというわけだ。「世の中には、簡単な問題から複雑な問題までさまざまですが、この手法を用いて、きれいに隠すことができる問題も見つかっています」。モノが接触するか接触しないか、摩擦によってモノが止まるか止まらないか、ロープが引っ張られたとき、ぎゅっと緊張するか弛むかといった、不連続の性質を持つ力学現象を解くのに役に立つことを確かめている。「物理現象(物事)の本質をつかむには、いかに上手にきれいな数式を書けるか、そこが決め手なんです」。

 従来のやり方では、何回も計算を繰り返さないと答えが得られない問題はいくらでもあるが、コンピューターが高性能になり、処理スピードも速くなったので、何回か計算を繰り返すことで答えが得られるのなら、それでもいいと言う人もいるだろう。こう考える人のほうがあるいは多数派かもしれないが、寒野講師にこの視点はない。「古典的な手法では、必ず答えが見つかるとは限らないし、出てきた答えが正解でないこともあります。むずかしい問題を早く精確に解けるということは、多くの実験(シミュレーション)ができることを意味するし、安全性にも寄与し、既存の設計方法の善し悪しを検証するのにも役立つ。産業的な見方からすれば、コストダウンにもなります」。だから、新手法を見いだす研究にとても興味を覚えるという。

本質を見据える研究者らしい研究者

寒野 善博講師

 2002年9月、京都大学大学院の建築学専攻、博士後期課程を修了し、2006年5月、情報理工学系研究科数理情報学専攻の講師に着任してまもなく1年。現在、構造物や固体の力学的挙動の数理的研究に照準を合わせている。この分野をどのようにして制覇しようとしているのかを聞くと、次のような喩えが返ってきた。

 『力学』という学問の山をどのルートで登ろうかと考えたとき、行き着く場所は力学を志向する他の研究者と同じかもしれないが、彼らと違うルート(視点)で登りたいと思った。途中、苦しい、険しい道があっても、そこは先人たちが導き出した数学のエスカレーターに乗って切り抜け、頂上に立ったとき、彼らが見るのとは違う景色が広がっていることを思い描いた。それは、頂上から力学の山を俯瞰したとき、力学のさまざまな問題の共通点はどこにあるか、逆に、数学の側にどこか問題が潜んでいないか、両者を合わせてみたときに何か足りないところはないかなどの問題意識が生まれるという信念からだった。

 まだ頂上には到達していないが、1つの物理現象を多角的に捉える視点として、数理的応用力学を打ち出した。これを構築するために、(1)先の接触問題など特殊な構造物の力学的な挙動の解析、(2)不確かさを考慮した構造物の新しい設計法の提案、(3)構造物の最適設計法―という3つの側面から研究を展開している。

 インタビュー中に何回となく飛び出してきたのは、「モノの見方」、「本質の捉え方」といったフレーズだ。水が凍るときは、まず小さな氷の結晶がいっぱいできて、次にそれらが合体して氷になる。そのようにして、知識の集積から物事の視点へと昇華することが大事で、これをしっかりと押さえたいと言を強める。着ている服が風でどう動くかを解析するケースを考えると、人間も服も同じ固体。固体と固体が動く法則はわかっていても、学問としてきちんと整理されているかどうかはわからない。それをセンスよくきれいに整理するには、筋のよい工学という道具が必要というのだ。寒野講師の狙いは、服の動きを追究するのが目的ではなく、そうしたことができる枠組みをつくることにある。筋のよい道具『数理的応用力学』を使って、未知の世界を見せてくれる日もそれほど遠くはない…。


モノが接触するかしないか、摩擦によって止まるか止まらないかという場合分けは、2次錐と呼ばれる数学の道具を使うことで隠してしまうことができる
モノが接触するかしないか、摩擦によって止まるか止まらないかという場合分けは、
2次錐と呼ばれる数学の道具を使うことで隠してしまうことができる

ISTyくん