“考えるネットワーク”を日本の英知で構築したい
電子情報学専攻 浅見徹教授

その人だけの、希望するサービスを
意識しなくてもセキュリティー確保

浅見徹教授

 2020年秋。田舎で一人暮らしの80歳のおばあちゃん、少し体調を崩した。でも、その情報は遠く離れた都会に住む娘のもとにそれとなく届いた。身の回りのすべてのものがネットワーク化され、連携して人の活動を支援する環境がすでに出来上がっている。そのお蔭で、おばあちゃんの健康状態が娘に伝わったのだ。娘はすぐに、おばあちゃんのかかりつけの医者に連絡を入れた。

 “考えるネットワーク”を通して、人と機械がインテリジェント空間で結ばれ、日常生活のあらゆるシーンの情報をやり取りできるようになった。人と人、人とモノ、モノとモノとのネットワーク化が進み、ネットワーク自体が柔軟に対応するユビキタスネットワーク社会が動き出している。でも、判断など決定するのは人工知能ではなく、あくまでも人が主役だ。

 10年先、15年先の社会がどのような姿になっているかを見通すことは極めてむずかしいが、その未来像は描ける。電子情報学専攻の浅見教授は、考えるネットワークを究極の目標に置いて、ビジョンの実現に向けてチャレンジしている。「大きくジャンプする技術が必要ですが、考えるネットワークで新しい社会をつくるという夢に賭けたい」。

図:考えるネットワーク
「考えるネットワーク」が張り巡らされると、さらに安心・安全・便利な社会に

企業人から大学の指導者へ

 もともと通信の専門家ではない。出身は京都大学の電子工学。電離層のプラズマ共鳴などの研究を主体とし、鹿児島県内之浦でラムダロケットの打ち上げにも参加した。通信とのつながりが生じたのは1976年、マスター修了時に就職の道を選んだとき。当時は第2次オイルショックの時代。希望した会社には就職できず、思いがけない形で国際電電(現KDDI)の研究所に入社した。在職中の主たる研究テーマはネットワーク管理システムだったが、80年代はUNIXベースのコンピューター通信を、90年代は長野県伊那市でADSLの実験を、いずれも素人に対して啓蒙活動を展開した。98年に研究所が株式会社になり、それまでの実績が評価されて、2001年から2005年12月まで研究所長を務めた。

浅見徹教授

  東大への転身は、2003年に始まった総務省のユビキタスネットワークプロジェクトが契機に。2010年にICT(Information and Communications Technology)が隅々に浸透した社会の実現を目指すu-Japan戦略の1つで、ここでの人脈が生きた。このプロジェクトには、東大の青山友紀教授をはじめ、慶応大学、九州工業大学、NEC、富士通とともにKDDI研究所も加わっている。共同研究を進める中で、今年3月に退官した青山教授からプロジェクトの効率的な進め方、若い人たちの指導法など、会社のボードメンバーでは体験できない貴重な薫陶を受けた。「大学でも指導していけるかも」という自信を得て、転身を決意した。

 だれかが歩いた道よりも、踏み入れていないところに道をつけたいというフロンティア精神の持ち主。研究者魂が騒ぎ始め、大学の指導者としての意識が芽生えたとき、インターネットの世界が次のステップに入りつつあるという新しい風を感じ取った。

 インターネットが始まって25年。インターネットは社会にさまざまな変革をもたらしたが、新たな課題も浮上している。特に、「セキュリティー問題は、人間の行動をシステムの枠外に置いてしまったから起きたもの。これからは人間をネットワークのノードにしてくしかないと思いますね。その場合のセキュリティーとは、人間をネットワークのノードとして組み込むのに必要なノード間インタフェースの一構成要素でしょう」と浅見教授は、次世代インターネットの研究に照準を定めた。インターネットを社会インフラから人間を中心とした社会システムにすることによって、お仕着せのサービスではなく、ロボットのように人々の要求に合ったサービスを提供できるようにする。これを“考えるネットワーク”の姿と位置づけた。「ネットワークが人間の行動を予知し、先回りして支援できるようになると、悪意を持つ人の行動を抑制することも不可能ではないですね」。

ニーズとシーズの縁結び役も

 浅見教授が提唱する“考えるネットワーク”構築への道は、決して平たんではない。学界と企業が強力なタッグを組んで推進することが必要条件で、「学者が集まる場には企業は来ない。企業が集まるところには学者は来ない」というようなことがあっては、道は拓けない。ニーズが学者のところに行き、シーズが企業に確実に届くようにするには、ビジネスモデルで考えたとき、どのようなモデルを想定してその研究を行っているかを両者が明確にしていく必要があると指摘する。これは、企業人としてのキャリアを積み、2006年4月から東大の教授に就いて、学究人として歩き始めた浅見教授ならではの視点である。学界と企業のつなぎ役も目標の1つで、事実、浅見研究室は産学連携を積極的に行っているし、東大工学部の森川博之研究室と連携して、考えるネットワークを視野に、通信サービス利用者の置かれた状況(コンテキスト)を考えて、利用者中心の柔軟なサービスを提供する技術開発を進めている。

 日本は韓国とともに、3G携帯電話技術に関して世界のテストベッドの様相を呈し、広域イーサネットサービスでは世界のけん引役を担っている。しかし、通信技術のコンセプトの発信という観点では、欧米に一歩譲る。次世代の通信技術を日本から発信していくには、研究者のベクトルを同じ方向に向けてアプローチする自覚が欠かせない。「考えるネットワークはその重要なアイテム。これで意気込みを示したい」と言葉を結んだ。

ISTyくん