なんと、それが全然覚えていないんです。私は進行性脳軟化が激しく進んでいるのです。ごめんなさい。都合の悪いことを忘れるという、よくある話ですね。このフォーラムが終わった後、生産研の尾上守夫先生がリコーの中央研究所所長になられたとき、渋谷の駅前のリコーのビルのサテライト所長室のようなところでサロンをやるのに付き合いませんかと誘われました。
このサロンには半導体エレクトロニクスの生駒先生、東大医科研の福田先生、ヤリイカで有名な松本先生、ニューロコンピュータの田中先生が常連でした。ゲストで計算機の鈴木則久先生とかも参加していました。これは本当にサロンで、夜、お酒を飲みながら喋りましょうというところでした。毎月誰かが話題を提供し、それをタネに言いたい放題をやるわけです。
私も喋ったんですけど、どうでもいいような囲碁プログラムの話でした。一番面白かったのは松本元さんの話です。当時まだ電総研でした。ヤリイカを生きたたま運搬・保存することとか、ヤリイカの細胞を組織破壊せずに電子顕微鏡で見ることできるように乾燥させるというのは大変な技術なのです。運搬・保存の技術は今はもう確立しましたが、実はその技術を発明したのが松本元さんです。彼はそれを特許にしませんでした。あのとき特許を取っていれば、今ごろ巨万の富を稼いでいたはずだとおっしゃっていました。その巨万の富があれば、赤坂に3階建てのヤリイカ博物館を作るんだと。実は3階建てというのは意味があって、1階は博物館、2階は研究室、3階はヤリイカの料亭なんです。実に合理的な建物を作るという話だったのを覚えています。
松本元さんというのはすごく面白い人で、この方から聞いた話は克明に、進行性脳軟化を超えて、私の脳に刻み込まれています。ヤリイカは四角い水槽に入れると壁に体をぶつけて傷つき、そこから細菌が入って死ぬんです。どうすればいいかというと、豊島園の円形プールです。つまり、ドーナツ型のプールを作って、そこを水が循環するように動かしてやると、ヤリイカは体を壁にぶつけない、それで少し長くは生き延びる。
それでもはヤリイカは自家中毒で死にます。自分の排泄物の毒素、つまりアンモニアでやられて死ぬということが分かったんです。アンモニアを処理するのにどうするか。アンモニアを食ってくれるバクテリアを入れてあげたらどうか、とまず考えました。ところがあまりうまくいかない。ところがアイデアが閃いた。バクテリアを入れて、ヤリイカを全然入れないで1週間放っておくんです。そうするとアンモニア大好きなバクテリアが超おなかを空かせてしまいます。そこにイカを入れる。するとちょうどいいバランスでイカの出すアンモニアを消化してくれる生態系ができあがるというわけです。断食でバクテリアを育てる逆転の発想です。
冷凍人間は可能か。何のことかというと、細胞の電子顕微鏡写真を撮るためには、細胞を絶対零度に冷やした状態で脱水するという作業を行ないます。凍らせることが重要です。細胞を凍らすというのは簡単そうですが、皆さんもご存知の通り、冷凍庫で凍らせると肉や魚がまずくなる理由は、氷の結晶が細胞膜を破って、細胞内の体液が出てしまうことです。
電子顕微鏡レベルで何かを観察しようとしたときに、組織を壊して、細胞膜が破れるようなことではだめです。要するに氷の結晶を成長させたらいけません。氷の結晶は刀のような形で成長していくので、いろいろな組織を破壊していきます。ではどうするかというと、瞬間的に凍らせるのです。結晶を作る暇を与えず、アモルファスの状態で凍らせるのです。サロンでアルコールを飲んでいたせいか、弁舌さわやかに松本さんの話が始まりました。
彼は、筑波の電総研の近くにあったダイエーに行きました。スーパーのダイエーです。そこでとある特売品を買いました。彼は物理出身なので、それを買って直ちに分解しました。何を買ったかというと電子レンジです。電子レンジの中にあるマグネトロンをむき出してしまいました。本当はやってはいけないことなんでしょうねぇ。マグネトロンは水の分子を揺さぶる装置です。揺さぶって温度を上げる。それまで細胞を凍らすには、液体窒素が入ったつぼの中に銅板が浮かべたものを使っていました。そこへ小さく切った細胞片をぺちゃっと落とすんです。銅板の上に落ちた瞬間、そこはほとんど絶対零度ですから瞬間的に凍る。
普通にやると、ぺちゃっと落ちたところから上の10ミクロンかそれぐらいまでが組織内組織を破壊せずに凍る範囲です。そこから先は氷の結晶が成長してしまうので細胞内組織を破壊してしまう。松本さんのやったことは、なんと落とす前に細胞を温めることです。冷やす前に温めるというのも逆転の発想です。
もう少しだけ説明をします。電子レンジは、水の分子を揺すって水同士の分子間結合をほどきます。温めるというより、分子間結合をほどいてからぺちゃっと落とすと、組織を破壊しないで凍る範囲が一挙に30ミクロンか40ミクロンぐらいになったんです。この話を聞くと冷凍人間の技術というのはまだまだ先の話のような気がしますね。
話が脱線しました。このサロンでも私が唯一計算機プログラミングをする参加者だったので、妙に尊敬というか、やはり魔術師のように思われてしまいました。いまだに不思議です。1990年代に入るちょっと前はバブルの絶頂期であり、このころはこういう異分野交流を支える社会的な風潮があったようです。
私は当時NTTにおりました。もう民営化されておりましたけれども、NTTフォーラムというものが開催されました。このフォーラムは、外部から10人ぐらいの人を集めてきて議論させるということで、NTT本社のビルの立派な会議室でやりました。NTTは何がやりたかったかというと、ただのコモンキャリアから脱皮したい。何かいい方策、知恵を出してほしいということだった思います。集まった方々はほとんど文系の先生方でした。なぜか私はNTT側からのメンバーだったのですが、私はこのころからメディア論、哲学、社会学などの多彩な文系の先生方とお付き合いをするようになりまし。最初の印象は、すごいなと。議論の仕方が全然違う。
この中に文系の方はいらっしゃいますか。文系の方、特に優秀な先生は、公の場で自分が批判されることに対してものすごく反発されますね。その議論の仕方というか、喧嘩の仕方には感銘しました。最初は喧嘩していることが分からない。非常に冷静な言葉でお話しになるんですが、そのうちものすごいことを言っていると気が付くのです。高尚な、というか高級な言葉を使って喋られるので最初は何だか分からないんですが、そのうちに「お前は馬鹿だ」と言われていることにはっきり気が付くわけです。なるほど、文系の先生と喧嘩してはいかんな、とそのとき思いました。
今まで異分野とはいいながらずっと理系の枠内で留まっていたのですが、文系の人と話をしているときには格別の面白さがあることに気がつきました。彼らの書き物は難しい。実際、彼らがリキを入れて書いた文章は本当に読めないことが多いですが、対話になるとたぶん同じことを言っているのだと思うんですが、なぜか100倍ぐらいわかりやすい。書かれた言語と話された言語が、あんなに徹底的に違う人たちというのはすごいなと思います。
何だかんだとそういうことに付き合っているうちに『現代思想』という哲学系の雑誌に巻頭エッセイを連載してくれと頼まれました。当時の西田裕一という当時の副編集長、とんでもない編集者だと思いますが、彼が私を選んだようです。ともかく、文系の人たちにとっては、この雑誌に何かを書くというのはそれで論文になるというようなものらしいのです。
巻頭エッセイを連載してくれと言われたとき。予備校の宣伝ではないですが、どうしてこの私がと、つい大きな声を出してしまいました。こういうコミュニティで何かを書くというのは本当に辛かったですね。でも、なんとか6回連載しました。何を書いたか。雑誌は保存してあるので発掘はできますけれども、ともかく異分野に進出したと、ということでした。
先ほどの西田裕一さんという方は変な人で、あの強面の『現代思想』の編集長になったあと、いきなり「やめた」と言って『月刊アスキー』の編集者にトラバーユしてしまいました。これは業界的には大変な事件だったらしくて、どうしてまた、アスキーなんかにと、すごく有名になったらしいです。アスキーのあとは、平凡社の百科事典の編集です。時代の先端を走った方かもしれません。
そんな彼が何を考えたか、『月刊アスキー』の企画として持ってきたのが「新科学対話」です。これは例のガリレオ・ガリレイの有名な「科学対話」をパクったタイトルです。こうして「新科学対話」の連載が始まり、最後に単行本になりました。対談した相手の方は皆さんご存じの方が多いと思いますが、養老孟司先生は超有名人ですね。生物誌の中村桂子先生。本川達雄さんは東工大の生物学者で『ゾウの時間 ネズミの時間』の著者です。ソニーの北野宏明さんも有名人で、彼だけが計算機屋ですね。もともと彼は物理屋ですが。
それからネットワークということで東大経済学部の岩井克人先生。実は対談をする前には必ずこの人たちの書いた本を1冊から3冊ぐらい読んでから行くんです。結構しんどい勉強をしなければいけないんですが、岩井克人さんの『貨幣論』というのは最初の1ページから何が何だか全然分からなかった。でも彼と対談すると、それと同じことがたぶん100倍ぐらい分かりやすく聞けるのです。ああいうのはけしからんですね。
それから、免疫ネットワークで有名な多田富雄先生、カオスで気鋭の金子邦彦さん、それから我々の業界では大先生の甘利俊一さん。メディア関係はいささか不思議な人がいて、今あちこちで大活躍の水越伸先生、現在は情報学環にいらっしゃいますね。石黒一憲先生は法学部にいながら、当時は日銀入りびたりだった先生です。黒崎政男先生はいい意味で変な哲学者です。社会学者の大澤真幸先生、この人も書き物はチンプンカンプンでした。
このような錚々たる方々と対談したんですが、私はその当時独自のコンピュータを作っていました。自作コンピュータ上にこれまた独自のオペレーティングシステムを書いていて、しかもそのコンピュータハード自体がバグだらけでしたから、その上のプログラムはコンピュータのバグの上を綱渡りするわけです。ちゃんと動くはずのプログラムが動かないときにはコンピュータを疑えというすさまじい世界でプログラムを書いていました。そんなわけで私が普段使っている言語は16進数だったわけです。
ですから、こういうすごい方とお話しできるというのは、いい気分転換になると思っていたんですが、何しろすさまじい本を読まされるのでストレスの方が逆にたまりました。しかし、このとき思わぬ副産物がありました。テープ起こしをすると、対談、座談会、パネルはどれも、日本語がむちゃくちゃになって、まったく読めた代物ではなりません。日本語の文章を即興で話せる人は天才です。
西田さんは、テープ起こししたものを、順序を組み替えたりして、読み物として話が分かるように一応手を入れて私の方に送ってくるわけですね。何しろ締め切りぎりぎりですから、ファクスや郵便なんかで連絡している暇がないので、テキスト形式の電子メールでやる。そこで、電子メールで原稿を直す方法というのを「必要は発明の母」の乗りでさかさかと作って使いました。この方法を真鵺道(まぬえど)と命名しました。えらく重宝しました。
私はいまだに学生の作文などはこれで直しています。とても便利です。Wordでもその手の機能がありますが、少なくとも私にはとても気楽に使えます。スライドに示したのは標準の記法ですが、別の照合を定義しても一向に構いません。ジワジワと愛好家が増えているようです。
私はこのころ大学に移りました。これからは大学の狭い世界に閉じこもって気楽にやっていればいいのかなと思っていたのですが、NTTからオープンラボというのを作るんだけど出てくれないかと声がかかりました。初台のオペラシティのビルに、オープンラボなるものが開設されて、そこで月に1回集まって何かやってくれというわけです。さきほど出てきた黒崎哲男さんが「メディアの変容と受容」チームのリーダーで、メンバーは村上陽一郎先生という偉い科学哲学者。あちこちに出てくる精神科医の香山リカさん。デザイン批評家の柏木博先生。現在情報学環でご活躍の吉見俊哉先生。これらの方に私が加わったわけです。計6人でしょうか。毎月1回、ゲストを招いたりして議論しました。議論している時間は結構テンションが高かったですね、私には分からない言葉が飛び交いますから。
3年間これが続いて、最後に『情報の空間学』という本になって出版されました。私はこの中で「メディアと豊かさ」というエッセイを書きました。これは一種の技術論にはなっていると思いますが、まったく裏付けのない技術論ですね。感覚とスペキュレーションだけで書いた技術論風エッセイなので、書くのはとても楽しかったです。なにしろ、裏付けが要りませんから。論文だとだめです。技術論風エッセイは書くと癖になりそうなほど面白いですね。気を付けましょう。
この文章の後書きに私は書いたんですが、オープンラボに集まった人たちは後知恵家と超然家とバクチ屋の3種類でした。人文系の人は基本的に後知恵の方ですね。過去から現在の現象をすぱっと切って整理をするという後知恵専門家です。心理学ですら後知恵的なところもありますよね。
超然家というのは、いまだにカントだとか、統一場理論とか、日付と無関係な事実を整理することを生業としている人たちです。極端に言えば世の中の流れとはあまり関係ないことを議論しています。バクチ屋というのはエンジニアのことです。エンジニアというのは昔を見ているのではなくて未来を見ています。こんなものを作ったら売れるかもしれない、使ってもらえるかもしれない。つまりいつもバクチをやっています。
この「メディアの変容と受容」チームは、見事に後知恵屋と超然家とバクチ屋の寄り合い所帯のフォーラムでした。予稿にそのまま私の文章を引用していますが、バクチ屋は後知恵屋から学ばなければなりません。一時期、例えば1990年代は技術が世の中を動かすとバクチ屋である技術屋が信じていたという事実がありますが、実はそんなことはあり得ないのです。
社会が技術を受容できるようにするためには、社会のことを考えないといけません。つまり技術者だけで世界を変えられるわけではないという当たり前のことを、ちゃんと学ぶ必要がある。逆に後知恵屋というのは、バクチ屋から将来の後知恵のネタを仕入れる。これは後知恵屋にとってとても重要なことです。後知恵屋さんは、他人よりも早く後知恵を手に入れることを競いますから。それから超然屋もカスミだけでは生きていけないので、俗世間の空気を吸って栄養を取り、ついでに超然の功徳を施すことが本務でしょうね。
1990年代の半ばぐらいから、こういったメセナ的なフォーラムが開かれているという話を聞かなくなりました。こういうフォーラムというか、異分野交流フォーラムをサポートする余力というか、体制がだんだんなくなってきたようです。
今までずっと異分野交流の話でしたが、NTT時代、私は同じテーマの研究を継続的に行なっていました。つまり、異分野のテーマにほとんど踏み込まなかったと言えます。これから、異分野漫遊の話をします。
NTTから電通大に移ったらいきなり貧乏になりました。それはそうです。大学の先生はすごく貧乏で、私はNTT研究所時代は何だかんだといいながら、年間数千万円の研究費を使わせてもらっていたんです。それに比べると大学に来たら、えっ、百何十万円しかないの?という世界ですよね。どうしようかな、卒業させないといけない学生もいるしなぁ、と思って、お金の掛かりそうにないRoboCupサッカーシミュレーションを学生と一緒にやる研究テーマに選びました。私はいまでもサッカーが大好きなので、サッカーシミュレーションは恰好の題材でした。そうこうしているうちに、RoboCupRescueという災害救助関連のプロジェクトが始まって、そのシミュレーションシステムを手掛けました。
RoboCupRescueシミュレーションシステムをうちの研究室のとても優秀な学生が作ってくれました。それ以来このシステムは世界中で使われています。そのうち、世の中の防災研究への意識の高まりから始まったIT防災システムの新たなプロジェクトに、いつの間にか防災の専門家でもないのに巻き込まれました。私のような世の中に災いをもたらす人間は防災をやれという、研究補償説のいい実例かもしれません。昨年の4月に東大に来ましたが、このプロジェクトをまだ引きずっています。それにしても、IT防災にはたくさんの研究や技術革新のタネもあると思っています。
さて、話変わってサッカーシミュレーションです。おそらくご存じだと思いますが、サッカーサーバという、フィールドとボール、つまりサッカー場の物理をシミュレーションするサーバがあって、そこに22人の選手を表現する22個のサッカーエージェントがUDPというネットワークプロトコルでつながっています。エージェント同士はサイドチャンネルで通信してはいけなくて、例えば、エージェントが喋ったらそこから50メートル範囲にいる人間に聞こえるようサッカーサーバが仲立ちしてくれるわけです。
体の向きという概念もあって、後ろはもちろん見えません。後ろにボールがあるとボールがどこにあるかが見えないけれど、見えたり聞こえたりする情報から推測しないといけません。また、視野を45度にするか、90度にするか、180度にするかで、見えるものの位置誤差が変わるようになっています。見ている方向の選択と、視野の選択は強いチームを作るための重要な技術になります。今のルールでは、視力0.1か0.2ぐらいのサッカープレーヤが想定されていて、確か30メートルぐらい先にいる相手や味方の選手の背番号が読めないことになっています。だから選手をいかにうまく協調させるかがミソとなります。
こういうしょうもないセンサしかない選手(エージェント)がサッカーをやるわけです。サッカーサーバが個々の選手の視覚情報、聴覚情報、それと身体情報を個々の選手に教えてやります。例えば、視野が45度なら45度の範囲のものが見えるわけです。選手はこれらを受け取って、自分で考えた基本動作をします。情報は大体100秒〜150ミリ秒ごとに入ってきます。それに対して100ミリ秒ごとに基本動作コマンドを発行します。ですから極めてリアルタイム性の高いプログラムを書かないといけません。
サッカーエージェントは、1サイクル100ミリ秒の間に、蹴る、走る、体を回す、首を回すのうちの一つの動作をします。蹴るというコマンドはありますが、ドリブルというコマンドはありません。ドリブルはちょっと蹴ってはちょっと走る、ちょっと蹴ってはちょっと走るの基本動作の連続です。うまいチームの選手はマラドーナのようなドリブルができますが、下手なチームのドリブルは本当に下手です。
こういう基本スキルを全部ゼロから作っていかなければいけません。お見せしているのは試合の場面ですが、真ん中辺にいる黄色の7番の選手が90度の視界で周りを見ているということが示されています。図の中の白い方が正しい位置ですが。彼に見えているのは青い方の位置です。つまりこれくらいの誤差があります。こういう誤差とか、後ろが見えないとかを全部勘案して協調行動をとらないといけません。
喋ることもできます。以前はすごくたくさん喋れましたが、今は1サイクルに10バイトぐらいしか喋れません。1秒間に10バイト喋れますが、みんなが同時に喋ると聞こえなくなります。このように人間に近い制約のもとで協調しないといけなくなっています。この図はうちの研究室で開発したチームの協調の例です。紫色が相手キーパーです。円で表されている選手の黒い半分が体の後ろ半分です。この図のような状況では左のフォワードのシュートは絶対入りませんから、キーパーに遠い右側のフォワードが「ゴッツァン」と言ってパスを要求する。するとシュートはとても入りやすくなります。当たり前だろうと思うかもしれませんが、ここまで行くのが大変なのです。お互いに情報的に独立したエージェントが、それぞれの周囲状況の判断と、こういいう短いせりふで協調する研究をしてきました。
次は災害救助のプロジェクトであるRoboCupRescueです。レスキューは、神戸の震災のときのように、都市で震災が起こって火災が同時多発し、かつ道路が塞がって消防車が走れないような状況で、いかに異種のエージェントが協調して災害被害を減らすかという問題です。将来的にはロボットが活躍するのでしょうけれども、まずはエージェントシミュレーションでいろいろやってみようという研究を行ないました。被災市民を含みますから、サッカーに比べてエージェント数が桁違いに多くなります。
サッカーではエージェントの質はほぼ均一です。もっとも最近はサッカーでも、体が大きくて走りのスキルがのろいやつとか、小さくて速いのにスタミナがないとか、いろいろなタイプの選手が選べるようになっています。それらのタイプが試合開始のときにサーバから降ってくる、つまり指定される。指定された配分を使ってどのようなチームを作るといいかを、一瞬のうちに計算して最適な構成にするわけです。とはいえ、サッカーエージェントはゴールキーパーを除いてはほぼ均一といっていいですね。しかし、レスキューには、消防、救助、道路啓開、市民など、役割も能力も違う異種エージェントが多種類参加します。
サッカーではミリ秒単位の高いリアルタイム性が必要になりますが、レスキューは1分単位でも十分です。このような違いを勘案してレスキューのプロジェクトが始まりました。サッカーでも協調作業が必要ですが、レスキューは違う組織間の協調作業が必要になります。この図は火災が迫っている倒壊家屋の中に人が埋まってしまったという場面です。救助隊はそこへ行きたいけれども、その前の道路が瓦礫で通れない、しかも後ろから火災が迫っている。
まず道路啓開隊という道路を切り開く部隊がやってくる必要があります。道が通れるようになれば、消防がそこに入って迫ってくる火を抑える。そこへ救助隊がやってきて埋没者を助ける。非常に単純なことですが、これを非常に広い空間でお互いに独立したエージェントが協調して行なう必要があります。RoboCupRescueシミュレーションのモデルでは消防本部や救急本部や道路啓開本部などがあって、ちょうどお役所構造になっています。
例えば、現場の消防隊員がこの道は通れないから火災現場に行けないという報告を消防本部にする。すると役所と同じ構造で消防本部から道路啓開本部に要請が行き、道路啓開本部から現場の重機隊員に対して、どこそこ何丁目の道路を開いてくれという指令が発行されます。つまり情報がコの字を書いて流れていって、道路が開くというパターンです。だからある程度の遅れがあります。こういう感じでシミュレーションが進みます。
RoboCupRescueシミュレーションもサッカーと同じく、国際的競技会になっていて、人をたくさん助け、火災延焼を減らせば得点が高くなります。うちの研究室が最初にシミュレーションシステムの基礎を作ったこともあって、第1回の世界大会では優勝しました。ちなみに、エージェントを作った人間とシステムを作った人間は別です。ただし、それ以来ずっと2位を守ってきました。
システムをうちの研究室が作ったので、システムの中身を知り尽くしている人間がいれば1位になるのは当たり前とよく言われるのが悔しかったので、2位にずっと甘んじることにしたわけです。しかし、そのうちにヨーロッパとイラン、特にイランが国家の威信をかけるような調子で追い上げてきました。
噂ではイランの学生はこういう国際大会でいい成績を上げると兵役免除になるということです。これなら力が入るわけですよね。現在、イランが上位8チーム中の4チームぐらいを占めています。あとはドイツとかアメリカが頑張っています。これまでお話してきたサッカーやレスキューは、実時間分散協調問題の典型的な例題ですが、これは人工知能の問題であると同時に並行プログラミングの開発手法の問題でもあります。
サッカーというのは11個のエージェントを動かさないといけません。それだけで動いているのならばいいのですが、相手もまた11個いて、自分たちの予測しないことをやってくれる。ですからサッカーエージェントのプログラムのデバッグは、何をやっているかよく分からなくなりがちです。ですから、サッカーエージェントのための良いプログラミング環境を作ることは、実は並行プログラミングの良いプログラミング環境を作ることと似ているんです。しかもサッカーの場合は結果は得点だけです。どこかを改良したからといって、すぐに点が入るわけではありません。ですから改良の効果がちゃんと見えるような指標を一杯用意しないといけません。
例えばボール支配率とか、ボールの平均位置とか、動いた人間の軌跡がどうだこうだとか、パスが何本出て、パス成功率はどうだったとか、あれやこれやの評価指標を20個以上用意して、そいつらがちょっとでも上がればいいことにしよう、得点は最後の結果だというような、一種のビジュアル・プログラミング環境を開発しました。サッカー用はサッカースコープ、レスキュー用はレスキュースコープです。
ビジュアル化のために、ありとあらゆることをやりました。あんまり役に立たなかったものも多かったですけど、どの選手とどの選手が一番パスが通りやすくなっていたかとかなどが簡単に見られたりして、本物のサッカーに役立ちそうなものもありました。並行プログラミングそのものではないかもしれませんが、それに関連した手法が開発できたのではないかと思っています。
しかし、デバッグや調整のためには、人がこういうビューアをずっと見ていないといけません。これが辛い。10分間の試合を何十試合も全部見て、相手のチームの性格を調べ、こういうチームにはこうやった方がいいとかを分析するわけです。開発者にはとて辛い仕事なので、次は個々のエージェントに内省能力(リフレクション)を持たせることをターゲットにするしかないなということで、今年度は簡単な予備実験を行ないました。
これはプログラミングの世界でいうリフレクションではなくて、サッカーエージェントの中に、もう一つのエージェントを置いて、本体のエージェントが何か変なことをやったら、お前おかしいぞと言って割り込む仕掛けです。そして、開発者にはその間の事情をオフラインで報告します。
プログラマはおかしいことが起こったと報告されたところだけを見ればいいので、10分間全部見ていなくて済む。これはわりあい面白い仕組みだなと思っています。サッカーできないけれどもサッカーの評論ができる人は世の中には一杯いますね。そういうプログラムを作ろうというわけです。つまり評論家プログラムを作って、それを自分自身の中に内蔵すれば、自分のプレーを少し改善できるというわけです。
時間がなくなってきましたので、いきなり話は飛びます。今、私は文科省のプロジェクトで、IT防災の仕事の片割れをやっています。ここに示したのは川崎市中心部の地図です。川崎駅が上にあり、下の方は工業地帯など、いろいろなものがあります。ここに5万ぐらいのエージェントを入れて、震災が発生したというシミュレーションができるシステムをPCクラスタ上に構築しようというプロジェクトです。
川崎の町の中で地震が起こったら人が避難所に行く。火災があれば、市民の自衛的な消防のほかにプロの消防力が投入される。消防、救急、救助、道路啓開、その他の複合事象を総合的に取り込んだ大規模なシミュレーションシステムを作っています。これはRoboCupRescueシミュレーションシステム開発の実績に基づいています。
さらに話が飛びますが、いまは紙地図上で情報を表現し、意思決定をしている災害対策本部の作業をIT化する研究も行なっています。ここに示したのはIT化された災害対策本部のプロトタイプ画面で、黄色くなっている道路は、道路沿いが危ない状態になっていることを意味しています。また、1台のPCにUSBハブでマウスをたくさんつなげる、マルチマウスミドルウェアを作りました。ここに示した写真は災害対策本部の画面の上で、3人の違う部署の担当者が情報を共有しながら共同作業しているところです。
消防本部と救急本部と道路啓開本部がお互いに話をしながら、自分のマウスを持って、地図画面上に見える各自の隊員にコマンドを送ったりしています。この実験では隊員に対してはPHSで通信しましたが、隊員の持っているPDAの画面には右上のこういう感じの地図が出ています。隊員はいろいろな報告、例えば、建物が崩れているといった報告をします。本部からは火を消しに行けとか、通常の道は通れないので、迂回路を通って火災を消しに行けとかいった指令が地図上に描かれて来ます。この実験を実際に豊橋市で行ないました。こんな具合に、異分野漫遊をしてきたことになります。
また話は飛びます。今度は異人種交流です。未踏ソフトウェア創造事業に私が長く関わっている話はご存知だと思うので飛ばして、未踏で出会った面白い人たちの話をしましょう。この2人の女性は小林さんと大矢さん、2人とも当時函館高専の学生です。小林さんは情報処理学会のプログラミングシンポジウムに漫画で予稿を書くという前代未聞・空前絶後の快挙を成し遂げた人です。彼女は漫画設計支援システムを開発しました。19歳の女の子ですよ。予稿の一部をお見せしますが、彼女はこれくらいの漫画の腕を持っています。漫画家を志望できるレベルです。プログラムを作る腕はそれほどなかったのですが、好きこそものの上手なれでいい仕事をしてくれました。
漫画作成には4つのステップがあります。プロットを作るのが最初で、下書きのあとの最後は、きちんと絵を描いたり線を引いたりすることですね。下書きの前、つまり第2段階目に漫画の設計図を書くという段階があります。ネームといいますけれども、要するにこのページにこんなふうにコマを割り振り、それぞれのコマの中の構図は大体こんな感じにするといった作業です。我々は最後のお絵書きが一番大変な作業だと思っていますが、あれはプロに言わせればどうでもいい作業らしい。
漫画家にとって一番大変なのがネームの作業なのに、ネームを支援するソフトは世の中にないそうです。彼女はそれを作りたいと言って、まさに好きこそものの上手なれで、プログラムを最初のころはあまり書けなかったのに、頑張ってくれました。
今はもう会社に就職していますが、独立を目指しているそうです。この前テレビ取材を受けていたので、そのうちテレビにも出てくると思います。こういう人、いいですよね。何もやりたいことがないのに計算機屋をやっている人が結構多いんですが、先にやりたいことがあって計算機をやる人はいいです。本当に勉強しますから。
小林さんと同級の大矢さんは、温泉によくあるようなマッサージチェアの頭をもっとよくしたいという提案をしてきました。プロのマッサージ師のノウハウを取り入れたい。よくプロのマッサージ師のノウハウを入れたという宣伝文句がカタログには書いてありますが、本当は入っていないみたいです。
例えば、プロのマッサージ師は親指1本だけで揉みます。マッサージチェアはローラが左右両方にあるので、両方をぎゅーっとやります。左右対称になりますが、こんなことをするプロはいません。親指1本で凝りを探しながらやります。また、プロは上から下にしか揉みません。マッサージチェアはローラーが下まで行くと、また上に戻っていきます。プロに言わせると、あれはやってはいけないことのようです。
ほかにもプロのマッサージ師から(掟破りになるので)名前を明かすなと言われながら、ノウハウを教えてもらったそうです。特許もいくつか出願しました。
片方の揉み腕には機械工学上の理由からブーメランのような形の腕の上下にローラが2つ付いています。そうしないととても大きな力がかかってしまうからです。2つあればバランスが取れて体の線に沿わせながら体重を支えられるんです。しかし、親指1本とは違ってきてしまいます。ローラを1個にすると、メカニズムがえらい大変なことになったそうです。でも、プロの技術を取り込むとはそういうことだと思います。
もう1人さらに変な人を紹介します。竹内先生です。竹内という人には変な人が多いですねぇ。彼の提案は、会議中に電話がかかってきたとき、小さなささやき声で「今会議中ですから」と喋ったたら、向こうには、「今会議中ですから」と通常に喋ったように有音音がはっきり含まれて聞こえるようにしたいというものでした。
竹内さんは鹿児島大学情報工学科の先生で、私より年上です。ホントにいろいろなことをやる不思議な人です。バイオリンをもっと簡単に弾きたい。バイオリンの一番高い弦はE線ですが、それより5度高いH線を作れば、高音域を大量に含んだ難曲でも易しく弾けるだろう。ところが、単純計算をするとH線になるような高張力素材はそう簡単には見つからない。しかし、とある素材を見つけて実験をしたそうです。やはりまともな音は出なかったらしい。尺八の歌口をクラリネットにつなぐとどうなるか。尺ラチと名付けたこの楽器、やっぱりうまく鳴らなかったようです。そういう奇妙な実験をしては論文を書いている人です。
彼の教授室はこの写真のような具合です。ここに明治天皇の写真。ここにX線発生装置、壊れたオーボエ、尺八があって、ここに三級スーパーというか、玉音放送を聞いたようなラジオの残骸が一杯並んでいます。手前に砂糖入れがあって、サトウと書いていますが、サトウという人の名前のサトウです。サトウというけしからん奴がいて、ここにサトウという名前でも書かないとやっていられないと言う、そういう方です。
ささやき声はマイクで拾うのがすごく難しい。空気の流れになってしまうので風音ノイズになってしまうわけです。それを回避するのに一番いい方法は何か。これです。マイクロホンから伸びているのは怪しげなカテーテルですね。で、マイクロホンの周りに膨らんでいるのがコンドームです。コンドームの薄い膜をマイクロホンの周りに張ると風音が消え、大変いい収音装置になるのだそうです。すごい発想です。
ほかにも、紹介したい2人の天才がいます。ソフトイーサーの登大遊君、まだ筑波の3年生ですが、先日うちの専攻の全員年上の人たちを相手に講演してもらいました。彼はもう会社の社長です。23歳で株式上場を目指すと言っていました。これが達成できれば日本新記録なんだそうです。
それからゲノム可視化の西尾康和君。彼は奈良先端で24歳で学位を取りました。京都大学を3年で中退して奈良先端に行きました。そのとき私は推薦状を筆で書きました。奈良先端を修士1年で修了して、ドクターは2年で修了。ということは全課程を1年短縮したので24歳で学位を取れたわけです。
彼はゲノムの可視化に関わる話題で学位を取ったんですけど、この前会ったとき、ゲノムはもう飽きた、全然違うもっとシステム的なことをやりたいと言っていました。変な奴ですね。西尾君のゲノム可視化の典型例がこれです。この図はK-12という大腸菌のゲノムを、彼の四次元可視化手法で見せたものです。
O-157という超猛毒の大腸菌がいますよね。こいつはこの四次元可視化で見るとこういう格好をしています。大まかにいって形は似ているので、両者はほとんど仲間なんですよね。四次元可視化で見るとO-157のこのあたりやこのあたり、妙によじれたところが5カ所ぐらいあります。実はこのよじれたところがO-157毒性に関係したということがわかって、みんな驚いたわけです。
実はここにもう1カ所変なところがあるのですが、ここが毒性に関係があるかどうかはまだ分かっていません。そのようなものを学部の4年から修士1年ぐらいに発見して、それだけでなくすごい勉強を重ねて、あちこちにいろいろな論文を発表して学位を取ってしまった。
こういう話をしていると切りがないのでこれでお仕舞いにします。異分野交流、異分野漫遊、異人種交流というキーワードを並べましたが、異分野交流を実りあるものにするためには、まず自分がどこかの専門家である必要があると思います。
異人種と交流するためには自分自身が異人種であることも必要かもしれません。ほとんど最終講義の乗りのセリフですが、東大にはあと何年かはいますので、これからは皆さんにも異分野交流、異分野漫遊、異人種交流の喜びを享受してもらうように努力するのが私の仕事かなということで、相当長くなりましたが、話を終わります。 |